日本の話芸 落語「映像グラフィティ」

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この番組のまとめ

だいぶ 幕末に近くなってその辺から 大正の半ば辺りまでが「寄席の時代」と言ってね一番 庶民の身近な娯楽だった訳です 寄席が。 それから 大正の半ば辺りまでが「寄席の時代」でそこから 映画が… つまりアメリカで エジソンという悪い人がいましてね…。 活動写真っていうのを作ってもちろん サイレント無声映画でございますね。 そうすると まぁ そりゃ もう人間 まぁ 日本人ばかりじゃありませんけど人間 珍しもん好きですから寄席より そっち活動写真を見に客は ワンワン集まっちゃった訳ですね。

オリンピックに出したら あれは絶対 金メダルだな ありゃ。 ある映画なんか彼が 地方の藩士でね両親…お父さんが 闇討ちに遭っていろいろ複雑な問題があるんだけど遭って 殺される。 で 金に… 妹が 一生懸命ねお針仕事か何か やったってそんなものは 追いつきません。 上田吉二郎とかね…。 ああいうタイプですよ「ヌハハハ~ッ」って。

そうすると 彼が唐桟か何かのね あれを着てね頭に 吉原被りって手拭いを ほらちょいと こうやってここへ 結んだりして。 もっともねテレビ時代が到来っていったってなかなか 庶民にはね うんテレビは買えませんでしたよ。 800 そう日本全国でです 日本全国でその時の契約台数それが 866台。 どうです? 何万軒に一軒ですよ。 料亭もあるし会社の事務所もあるし一般家庭の金持ちの家もあるだろうけれども866台ですよ。

「テレビジョン 買いましたから まぁよかったら 見に いらっしゃい」。 そんな テレビでも とにかく当時は大変でしたよ もう。 学校へ行って 友達に 「おう俺ん所よぅ テレビジョン 買ってな家中で 毎日 見てんだぞ」なんて。 自分の家のテレビで家中で 毎日ジ~ッと テレビを見てるのが金持ちだったんですよ。 今 自分の家で 家中で 毎日テレビを ジ~ッと 見てるって家はちょっと かわいそうな家じゃない? ね~。 落語家になって三遊亭圓生の弟子になってあの名人の圓生師匠の家に無かったんですよ。