NHKアーカイブス シリーズ・冬季五輪 第2回「絆でつかんだ栄冠」

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この番組のまとめ

さあ どうだ! 船木!2回目の今日は…きれいな飛形で来た!伸ばしてくる 伸ばしてくる!1998年 長野オリンピックでスキージャンプは日本初となる団体での金メダルを獲得雪の勢いが増し途中で 競技が中断されましたこのまま再開できなければ前半の結果をもって順位を確定する事になった。 競技を再開させるにはテストジャンパーは 何としても安全性を証明しなければなりませんでした彼らは 危険を顧みず次々と飛び続けます降りしきる雪の中での逆転劇そして 涙で クシャクシャになった原田選手の顔忘れる事ができません。

その4年前に開かれたリレハンメルオリンピック。 ジャンプ団体で金メダルを狙っていた日本。 行った 行った 行きました!135mラインまで行きました!西方は ここまでの誰の どのジャンプより遠くまで飛んだ。 大ジャンプ!その後も 日本は リードを広げ3人目が終わった時ドイツとの差は飛距離にして およそ30m。 どうか~!? 落ちた!途中で落ちてしまった!原田 失敗ジャンプになってしまった。

ジャンプに関してはホントに努力家でしたね。 私が 普通に飛んで金メダルを取ってれば西方は 今 金メダリストとして次の人生を歩んでるはずなんですよね。 8時には ジャンプ台のスタートの所にいるっていうのが毎日あったんで それって選手じゃ考えられないですよ。 夢の舞台でテストジャンパーをやらされる事は彼らにとって苦痛以外の何物でもなかった。 そしたら1本目のジャンプに上がってきて胸が熱くなったっていうか西方と西と一緒に飛ぶ。 テストジャンパーたちは 控え室のテレビで原田のジャンプを見ていた。

しかし ジュリー会議の決定は…天気が悪くても競技ができるかどうかをテストジャンパーを飛ばして判断しようと考えたのです。 そこには テストジャンパーの方もたくさんいましたしそこで いろいろ話をして。 選手と一緒に出てるような気持ちになってみると「テストジャンプを行います。 25人のテストジャンパーの中にただ一人 女性がいた。 スタートゲートに向かう時 原田はテストジャンパーたちに 声をかけた。

夢の舞台でテストジャンパーとして飛ぶ事をすごい場面に自分は いられたんだなって改めて 思いました。 それと どうなんでしょうか…テストジャンパーの人たちはとにかく 長い事 控えて気持ちをつながなきゃいけなかったんだそうですね。

テストジャンパーに 世界のトップと同じようなジャンプができる選手がいるって事ですよ。 日本の強さというのは工藤さんはどんなふうに思いますか?1972年に 宮ノ森 札幌オリンピックで金 銀 銅 3つのメダルを取ってホントに ジャンプが 日本のお家芸といわれるようになったんですが金 銀 銅表彰台を独占しましたよね。 10年以上にも及ぶ低迷を挽回しようとコーチや選手 そしてジャンプ界が一つになって長野オリンピックに向けて戦う様子を描いた番組があります。

実験の結果を受け原田は 日本選手の中でもいち早くV字ジャンプに取り組みました。 それでも 日本ジャンプ陣の実力は世界が トップと認めるようになっていました。 外国のコーチが 昔から言っている「ジャンプ台を長く踏みつけろ」という言葉がヒントでした。 必要なのは 瞬発力ではなくジャンプ台を踏みつける圧力ではないのか。 オリンピック2年前 実験が始まります。 ス~ッといって高さは もちろんある 原田!大ジャンプを連発。 原田と同じく ベテランの域に入った斎藤や岡部も長野オリンピックの開幕です。