福島第一原子力発電所の事故から、まもなく3年。 福島第一原子力発電所の事故からまもなく3年になります。 避難が長期化する中、去年暮れ政府はそれまで掲げていた「全員帰還」の原則を転換。 こうした中国はできるだけ早くふるさとに帰還したい人また避難指示が長引き新しい場所で生活を始めることを決めた人々双方に対して新たな住まいの支援策を打ち出しました。 移住先で新しい生活を始める場合でも国が住宅取得に必要な費用を賠償に加えることにしたことでふるさとへの帰還を諦め移住を選択する人が増えるのではないかと見られています。
八島さんは震災前浪江町で鉄工所を経営していました。 移住先では見つからず浪江町の隣にある南相馬市に単身移って鉄工所を借りることにしました。 浪江町の近くならつてを頼って仕事が見込めると考えたのです。 元どおりの復旧がかなわぬ今市街地でも放射線量が特に低いエリアを集中的に整備し帰還する町を集約していこうというのです。 拠点作りの話を聞き鉄工所を再び浪江町に戻すことを考え始めていました。
去年暮れ、政府が出した方針ですけれども、全員帰還という原則を転換して、おっしゃるような側面を感じている方もいらっしゃいますし、そういうことに、誰かを切り捨てることにしてはだめだと思います。 そして今のVTRにありました浪江町の住民の方々が、復興計画をみずから話し合って、そして、そこから生まれた案というのが、廃炉の町、北の玄関口。