デビューから42年を迎え大阪の八尾市で育ち歌の天才少女と呼ばれた天童さん。 ♪「負けたらあかん」♪「負けたらあかんで 東京に」「関西人生劇場」歌に元気と力をもらい負けたらあかんと歌い続けた天童さんの人生に迫ります。 自分自身感謝の気持ちを込めて歌うということそんな歌への気持ちというのはどこから生まれてきたのかきょうは掘り下げてうかがっていきたいと思います。 聴いた人が元気になるそんな天童さんの、歌の原点を振り返ります。
それを買ってお父さんも時間を割いて歌手になりたいと思っていたんですか?最初は歌手にさせたいとか絶対に、歌手になれよとかそういうふうな思いは全然なくて父と歌の練習をするのがものすごく楽しかったですね。 天童さんは14歳のとき歌番組で10週連続勝ち抜きプロデビューが決まりました。 レコード会社は天才少女歌手としてテレビやラジオでキャンペーンを行い売り込みました。 そんな天童さんに父・義行さんが見つけてきたのは歌謡教室の講師の仕事。
天童よしみさんで「道頓堀人情」。 大阪にまた帰っておいでと言ってくれたのは父でそれから「道頓堀人情」に出会うんですけれどもやっぱり歌の縁というかつながりというか私がもし、そのまま東京に残って頑張っていたとしてもその時点で「道頓堀人情」には出会えていなかったかもしれない。 大阪に帰って、大阪で頑張ると思ったときに「道頓堀人情」がすぐに会わせてくれたというか。 何十年と歌い続けて今もいらっしゃいますけれども今、改めて「道頓堀人情」というのは天童さんにとって、どういう歌だなと思っていますか?そうですね。
おととし、地元・八尾市にある行きつけの理容店に、天童さんが訪れたときの出来事です。 天童さんには、このあと番組の最後までおつきあいいただきます、質問・メッセージまだまだ受け付けています。 大阪湾から播磨灘にかけての地域でこの時期限定で漁が行われる関西、春の風物詩本日解禁しました。 ということで、きょうは兵庫県の淡路島にありますイカナゴの加工場から中継をお伝えします。
シーズンが始まって期間が短いものですから頑張ってこのおいしいイカナゴを届けたいと思います。 早速、私にもイカナゴを食べさせていただけますか。 しっかり味がしみ込んだちょっとかためのイカナゴが、このほくほくのごはんでいい具合に溶けてばっちり合います、おいしいですね。 イカナゴのくぎ煮だけではなくて地元で食べられているお料理をご用意しました。 先ほど、ご紹介したイカナゴが1年ほど成長した親なんです。 明石海峡の水の流れのきれいなところで日本一のイカナゴの味を皆さんに食べていただきたいと思います。