スタジオパークからこんにちは 柄本明

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この番組のまとめ

下北沢にお住まいということでいつもよく召し上がっているパンをスタジオにお持ちしました。 下北沢では有名なパンでございます。 下北沢は清水さんが先輩で?ただ、ずっとその辺の近所というか住所は前も北沢だったんです。 よく、みそパンだけではなくて柄本さんは劇場が多いから下北沢に住もうと思われたんですか。 東京乾電池という劇団の仲間ですけどそれが下北沢に下宿していたんですよ。 でも下北沢自身が便利ですよね。 柄本明さんは1948年東京都出身の65歳。 銀座・歌舞伎座の近くで元気に生まれ育った柄本少年。

1974年に串田和美さん主宰の自由劇場へ参加となり芝居一筋の道を歩み始めました。 六本木にある自由劇場という地下に劇場があるんですけどこれより狭いくらいかな、50席くらいのところだったんですけど年間10本ぐらいやったり。 ♪~柄本さんは、どんな関わりがあったかというと?懐かしいという声をあげられていましたがちなみにNHKホールができた年の初紅白です。 NHKが渋谷に来る前で紅白はNHKは内幸町にあったんですが麻丘めぐみさんのものまね郷ひろみさん。 NHKの大道具、いいアルバイトだったんですよ。

「お笑いオンステージ」三波伸介さんとか伊東四朗さんとか伊東四朗さんは僕が大道具のとき知っています。 逃げた理由は、言える理由で言うと東京乾電池を作りたいって。 それと先輩の劇団で東京ヴォードヴィルショー佐藤B作さんの。 くだらないことをやりたいという思いで東京乾電池を作られて舞台をやられて、笑いの要素というのは逆に笑わせるというのは難しい部分がたくさんあると思うんですけれども。

先ほどのお話ですけれどもスタジオではすごく受けているにもかかわらず、コント終了後すごく難しい顔をして柄本さんがあれでよかったのかなコントは俳優より難しいねといつも言いながらスタジオを去っていた。 あと、もう1つありましてコントを収録する前に柄本さんの楽屋にお酒が置いてありました。 柄本さんに理由を聞いたらコントの緊張をほぐすためにということです。 そのあと逆に柄本さんも志村さんに飲ませていらっしゃるという。 志村さんが、ぜひ柄本さんに伝えてほしいというメッセージがございましてお体お大事に。

柄本さんは殺された女優の原田志津香の父親の原田平蔵という役です。 原田平蔵であります。 殺された女の父親か?そうです、原田平蔵のことです。 そうやって今回臨まれたドラマですが共演は浅野忠信さん。 いかがでしたか?ちょっと宇宙人ですね、この人は。 相米監督は宇宙人と呼んでいましたね。 ちょっとお時間をいただきましてきょうのこのあとの総合テレビの番組をご紹介します。 そして夜遅くの時間ですが明けまして0時10分先日お亡くなりになりました蟹江敬三さんの追悼番組です。