歴史秘話ヒストリア「参勤交代はつらいよ 加賀百万石 お殿様のはるかな旅」

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この番組のまとめ

古都・金沢を出発し加賀百万石の参勤交代のルートをたどります。 この地には加賀藩の家老が書き記した参勤交代の「旅日記」が残されています。 この日記をもとに 参勤交代試練の旅路をたどりましょう。 こうして 金沢から江戸までさて 準備を終えていよいよ 参勤交代の旅へ出発!今回 お殿様の代わりに旅をするのは俳優の渡辺 大さんです。 日記によると寛政10年4月4日加賀藩一行は金沢城を出発しました。

しかし 加賀藩は参勤交代のためにその難題を 見事 克服しました。 街道から外れた この地で参勤交代のためだけに橋を造ってしまうなんてそれは あまりの険しさから「天下の険」と呼ばれた「親不知」。 では 加賀藩一行はどうしたのでしょうか?なんと 「波よけ人足」700人を用意。 加賀藩の旅の様子をご覧頂いていますがこうした旅は江戸時代 二百数十年もの間全国で繰り広げられてきました。 さて それでは 加賀藩参勤交代の旅へ戻りましょう。 加賀藩 参勤交代の旅。 いずれも 加賀藩随一の職人が作った一級品です。

加賀藩の場合 一行 2千人が1泊するだけで 1千万円以上。 供家老の日記には宿代をめぐる こんなトラブルが記されています。 親不知の難所をどうにか越えた加賀藩一行。 一行は 予定を変更して能生宿の1つ手前糸魚川宿に泊まりました。 供家老はなんとか その場を収め能生宿の代表に帰ってもらったのだとか。 ここで 供家老最後の大仕事が待っています。 供家老の旅日記は こんな言葉で締めくくられています。