アメリカ・カンザス州にあるカンザス宇宙博物館。 そして部品を取り去ったあとの船体はフランス・パリの航空宇宙博物館に渡ってしまいました。 カンザス宇宙博物館は15年をかけて全米各地に散らばっていた部品およそ8万点を集めほぼ帰還当時の姿を復元したのです。 機械船は ミッションを支えるさまざまなシステムとメインエンジンを搭載しています。 Uターンした 司令船と機械船はアポロ13号のミッションは全て このコントロールルームで制御されていました。
「2時間以内に 酸素は無くなって司令船は 真っ暗になります」そう言いました。 月着陸船を使って地球へ帰るというのです。 月着陸船は月の周回軌道から月面に降りるためのもので計画では 月着陸船は月面探査終了後に捨てられ司令船と機械船で地球に帰る事になっていました。 しかし 爆発事故で 月着陸船が帰還への切り札となったのです。 3人が まず取りかかったのは司令船のコンピューターにある飛行データを月着陸船に移す作業でした。
司令船と月着陸船とは少し ねじれてドッキングしているので機体の姿勢を示す座標軸が異なるんです。 飛行データを 月着陸船に移す作業はギリギリで間に合いました。 クランツさんが立てた計画は月着陸船を使って地球に向かう。 月着陸船には6個のバッテリーがありますがもともと 月面着陸のためだけに設計されたもので電力は それほど多くありません。 月着陸船のカートリッジだけでは司令船と月着陸船とでメーカーが違ったためでした。
事故は 1年半前の1968年10月電気系統を改良するために機械船から酸素タンクを取り外した事が 始まりでした。 フライトディレクターは不眠不休で働いていましたがそれぞれのシフトを終える度に記者会見を行って質問に答えました。 ジョン・グレン飛行士がアメリカで初めてまず 耐熱シールドの外側にある逆噴射ロケットで減速。 それ以降 現場の責任者であるフライトディレクターにフライトディレクターが 最終決定権者でたとえ 合衆国大統領といえどもその決定を覆す事はできないのです。
宇宙船が 大気圏に突入する際その進入角度のずれは乗組員の生死に直結します。 地球を目指す アポロ13号にとって最大の難関が司令船の再起動です。 再起動の手順作りと格闘していたのはクランツさんが急遽 責任者に任命した電力・環境担当官のジョン・アーロンさんでした。 アーロンさんは 宇宙船のデータを地上に送る装置など再起動マニュアルを書き上げたのは大気圏突入の僅か9時間前でした。 大気圏に突入すると 司令船はプラズマに覆われるため地上との交信は途絶えてしまいます。