日曜美術館「“半身の馬” 大地の画家・神田日勝」

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一面の原生林を 人の力で切り開きつくり上げた大地。 どんな物語を秘めているのでしょうか?日勝の画家人生は 僅か10年余り。 一面 大木が生い茂る原生林。 日勝が手塩にかけて育て 品評会で入賞を果たすほどでした。 長野県に 夭折した画家たちの作品を集めた美術館を造りました。 著名な画家だけでなく戦争で亡くなった画学生たちの作品を戦争に駆り立てられて亡くなった絵描きさんと日勝さんの場合はそれが窪島さんを この地に何度も足を運ばせる理由の一つでもある。

馬を通した…自分と共に働いて 辛酸をなめ苦労した パートナーの馬を通して日勝自身を描いている。 日勝にとっては 日々の生活や労働の営みに欠かせない存在としての馬だけではない自らの重ね合わせ…。 中学を卒業した日勝は家族の大黒柱として 農作業を一手に担うようになります。 一緒に東京から入植した人々は過酷な生活に耐えきれず翌年 新聞の見出しに日勝の名前が躍ります。 日勝さんは本当に入選という事がすごく うれしかったそのように 鮮明に覚えています。 記念館の一室に 日勝が使っていた机が展示されています。

色彩の時代の代表作「晴れた日の風景」。 32ぐらいの年齢はね日勝は 亡くなる1年前帯広市内の画廊で初めての回顧展を開きました。 高橋悦子さんは 日勝の家でその絵を目にしました。 「日勝さん 自分を描いたの?」って言ったんです 私が。 無造作に置かれた日用品もほとんど日勝が使っていたものです。 その日 帯広のなじみの喫茶店ではモーツァルトの鎮魂歌が流れ32歳の若い画家の死を惜しみました。 それでも炎天下 畑仕事に追われ日勝亡きあとに撮られたアトリエの写真です。