神田日勝が暮らした 鹿追町。 20年前 ゆかりの地に建てられた…日勝の画家人生は 僅か10年余り。 しかし 日勝と馬とのつながりは苦い体験から始まりました。 日勝が手塩にかけて育て 品評会で入賞を果たすほどでした。 今日は 日勝の絵に大変 ひかれているというゲストにお越し頂きました。 戦争に駆り立てられて亡くなった絵描きさんと日勝さんの場合はもう 20回 30回ですね。 馬を通した…自分と共に働いて 辛酸をなめ苦労した パートナーの馬を通して日勝自身を描いている。
神田日勝の描き方なんですけどあばらや 顔の表情や 筋肉や…ものすごいリアリズム。 神田日勝の この一枚に込める思いみたいなものもそれは なぜ描けなかったといったらそこには自分が住んでないから。 小学2年生で東京から転校してきた日勝はすぐに 絵のうまい少年と評判になりました。 あとから おまけと言って描き足してくれて祖父の伊右ヱ門さんは亡くなる数年前遺影にしたいと日勝に絵を頼みました。 中学を卒業した日勝は家族の大黒柱として 農作業を一手に担うようになります。
色彩の時代の代表作「晴れた日の風景」。 耕せど 耕せど 作物がならない貧乏 貧しい そういうものがね心の中に秘めていた彼の太陽をギューッと押し潰してたけどそれが 耐えられなくなってはじけたっていうか前衛アートが とても盛んで花開いていた時代で挑戦的な意欲作ではないのかとも感じたんですけども。 その作品 「室内風景」。 それがね濁流のように 彼を押し包んで流れていく時代の中でこう 身をこごめてね 「俺は一体何なんだろう」っていうか自分は どう生きればいいか不安が いっぱいなんですね。