湿原の生態系を守れという声が高まる中釧路湿原は 国立公園に指定され開発に制限がかけられたのです。 地方を通して 日本の戦後を見つめるシリーズ 第3回は「釧路湿原 鶴居村」。 昭和30年代農家の所得が伸び悩む中都市や工業地帯は高度経済成長に沸いていました。 農業基本法は 農家の所得を上げ零細経営が多かった農家を自立させる事がねらいでした。 やめた農家の土地を 別の農家が吸収し拡大していく事は規模拡大を目指す国や自治体の方針とも合致したものでした。
釧路湿原を含めた農地開発の大方針を立案する立場にありました。 搾った牛乳を自動的に集めるパイプライン開パによって生まれる牧草地に期待して村中の農家は 競うように先行投資を行っていきました。 この農家も開パの牧草地を当てにして離農者を出しながらも規模拡大を続けていた鶴居村。 当時 打ち出された湿原の海沿いに コンビナートを造る計画に危機感を覚えた人々が釧路湿原を守れという声を上げます。 農地開発が制限される可能性があった国立公園化計画。