僕 ずっと 自分なりの小説を書いてきたんですけれども小澤さんと出会えて一番うれしかった事は俳句という 小説から見ると一番対極にあるものを作っている方と知り合えたという事なんですよ。 小説は短編 中編 長編ありますし僕なんか 大長編書きますけれども自由なように見えて自分の中で それぞれの作品の大きさに対して制約をつけていくんです。
小澤さんの「遠足バス いつまでも子の出できたる」は日常の中のバスの風景を描いているんだけれどもエンドレスに子どもたちが出てくるというむしろ 彼岸や異界を感じさせるこれが 重なってくるような気がして 不思議だったんです。 なぜ彼岸や異界を感じるんでしょう?俳句って 門外漢から見るとある情景をとどめる小澤さんが詠まれた遠足バスの句には時間が入っていて 出てくる。 高浜虚子は「ホトトギス」の勉強会のための句会俳諧散心を始めていました。
小説の中に俳句を引用して頂いて古川日出男の著作ですけれども小澤 實の俳句を刻み込んでより深く「馬たちよ」という作品を作り上げたという実感があってそして亡くなった人が 磨いてきた。 それを俳句を作るという事においては大事な事だと思っているんですけれども古川さんの朗読とか作品を読んでいるとそれも感じられるような気がするんですけれども。