日曜美術館「宇宙の器 器の宇宙~陶芸家・河井寛次郎〜」

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河井寛次郎記念館ですね。 人間国宝や文化勲章を頑なに固辞した寛次郎の珍しい インタビューです。 寛次郎は 松江中学を優秀な成績で卒業。 京都で 窯を持った寛次郎は次々と 作品を世に送り出します。 寛次郎は 「釉薬の河井」の異名をとるようになります。 寛次郎は 柳が主催した展覧会で名もなき陶工が作った実用の美に 衝撃を受けます。 寛次郎は 作品に名前を入れる事さえ やめてしまいます。 生前の寛次郎を知る美術史家の乾 由明さんです。

使われている この赤僕は 勝手に「寛次郎カラー」って言ってたんですけどもやっぱり 河井寛次郎さんといえばこの赤の色が…。 これ「辰砂」という釉薬なんですけど金属の銅を成分としてるんですけど思ったように 発色できないだけに追い求め続けるというかなかなか 思いどおりにならない女性を追いかけるように河井にとっての 辰砂というのはとても印象的なものがたくさんあってその中でも「美を追いかける仕事と美が追いかける仕事」。 寛次郎さんが…。 生涯 炎と格闘を続けた寛次郎。 寛次郎の日記です。

この辺が 作りつけの本棚であと 河井自身が…家も設計してますが 家具類もこの辺も 全部 河井のデザインでこしらえた家具です。 これは 本人の作品ではなくてコレクションのものなんですが香移し…中で お香を たきこめましてここに ポコポコ穴があいてるんですね。 例えば 布のものを掛けたりあるいは 着物をそばに置いておくと戦後の一番最後の 自由でエネルギッシュな作風の作品たちです。 宗琳の娘の 松久佳遊さんは木彫と向き合う寛次郎の様子を父親から聞かされたと言います。