ETV特集「摩文仁 沖縄戦 それぞれの慰霊」

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日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる この日摩文仁では戦没者追悼式が行われます。 ここ摩文仁でも 住民たちが魂魄之塔で 60年以上参拝に訪れる人に花を売る大屋初子さんです。 日本軍は 首里にあった司令部を摩文仁に移し持久戦の構えをとります。 6月23日 摩文仁で 日本軍の組織的戦闘が終わります。 安子さんたちは4か月ほどで自分の村へと戻りその後 摩文仁に帰ってきた初子さんたち地元の人々が遺骨収集を引き継ぎました。

生き残った住民への聞き取り調査を記録した沖縄県史の編纂に関わっていました。 名前は 沖縄県立平和祈念資料館なんですよね。 軍人や民間人 国籍を問わず沖縄戦で亡くなった全ての犠牲者の名前を石に刻み 追悼する慰霊碑です。 大田さんは 沖縄師範学校在学中の1945年3月海からは 水陸両用車が上がってきてですね。 摩文仁には 沖縄戦を学ぶ 県内や本土の子供たちも数多く訪れます。 何歳でした?明るい所に 光を見てから死のうよって お父さんが沖縄戦当時 国民学校3年生だった初子さんは最初は私たちも こっちね。

我々自衛隊につきましては 沖縄にいまして 沖縄を守るという同じような任務を持ってますので我々自衛隊としてももし何かあったら 自分の命をなげうって戦って 最終的には逆に日本兵は 沖縄ではとんでもない事をした軍隊は住民を守らない といった言葉ばかりが言われまして。 自衛隊は 沖縄戦で残された不発弾の処理や慰霊の日 未明。 憲法違反の参拝やめて下さい。 隊員による 黎明之塔の参拝は復帰直後に一度行われましたが県民の強い反発によりその後は取りやめられました。