♪~今回のスタジオは江東区芭蕉記念館。 芭蕉ゆかりの品が展示され句会が開かれるなどそして 長谷川先生と一緒に旅を追体験して下さったのは女優の内山理名さんです。 江戸時代 150日ほど かけて東北地方 2,400kmほどを巡った芭蕉。 要するに 宇宙というのは太陽が巡り 月が巡るように全て 刻々と変化しているように見えるけど実は 何も変わらないんだという芭蕉の宇宙観ですね。 フィクションという事はなぜ分かるんですか?曾良の日記というのが別に「随行日記」があってそれには 全く 遊女がいたとかそういう話もない。
倶利伽羅峠を越えて一路 金沢へと向かう芭蕉たち。 芭蕉自身も多分 そう考えていて人生というのは突き詰めて言うと 別れであると思ってたと思うんですよ。 芭蕉の方は ちょっと引いて別れるという事自体よりもそれにある ちっちゃな作業笠から名前を消すっていうだけど それは「おくのほそ道」には全く書いてなくて後で出てくるんですね 北枝が実は ついてきてたというのは。 ドキュメンタリー映画の編集みたいなところってあるじゃない。
北枝とも別れるんですね?芭蕉は この世の中というものを最終的には別れであると感じてたんじゃないかと思うんですよ。 芭蕉は これ解決できるんですか?その前に 「不易流行」という事を第三部で気付いた。 芭蕉はその「かるみ」という考え方この「おくのほそ道」の最後の方でどうも その境地に至ってだんだん 形になってきたらしいんですが終着点の大垣で詠まれた俳句をご覧頂きましょう。 芭蕉が 大垣に入ったのは8月21日の事。 やがて芭蕉は 伊勢の遷宮を拝もうと 旅立ちを決意。