白熱教室海外版 ハーバードケネディスクール リーダーシップ白熱教室 第2回

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この番組のまとめ

ハーバードにはロースクール ビジネススクールなどその大学院の一つ ケネディスクールは「Public Policy」公共政策を課題の中心として世界のリーダーたりうる人材を送り出してきました。 国連事務総長 パン・ギムンやリベリアの女性大統領エレン・ジョンソン・サーリーフなど世界各国の大統領 首相もここで学びました。

権威と同等に見なすがゆえにリーダーシップを社会的な優位性とも見なす。 社会的な優位性なしにやっていく術を学んでいるんだ。 その子供が ずっと一番年上であり続けたならば社会的に優位なタイプになるだろう。 だが 社会的に優位だったその子供が 転校したり飛び級して上の学年に入ったとする。 一番 年上だったのが一番 年下になると社会的に優位じゃなくなる。 その子供の両親が出世するどころか全財産を失ったりあるいは 親のどちらかが刑務所行きになったりするとその子供は たちまち社会的に優位な子じゃなくなる。

軍は 秩序の回復と社会的な均衡を取り戻すのに中心的な役割を果たす組織なんだ。 今日も これからのワークショップでも混乱と不均衡に耐えうる力がないとみんなを リードできないぞ。 今の事ではなくて 野心がどう リーダーシップと関わるのか野心のバランスについて 興味があれば議論したいと思います。 野心を持っていても目標達成のために使えるものを整理して戦略を立てられなければ好ましい結果は得られません。 「野心」というものは自分のステータスと理解されたいという欲求に関係していると思います。

教授は カリスマ性について触れられていませんがカリスマ性も リーダーシップを構成する要素でしょうか?「彼は カリスマ性があるリーダー」とよく 人々は言います。 「カリスマ性」を持ち出してもらってよかった。 なぜなら リーダーシップと カリスマ性を同等に見なすからです。 私は リーダーに備わっているカリスマ性は生まれ持った資質だと思います。 20世紀初頭の 偉大な社会学者マックス・ウエーバーが「カリスマ」という表現を導入した時私は それは正しいと思う。 カリスマ性は権威を得る資質の一つだ。

権力を分析する単位としてリーダーシップを考えあるいは 人物の特徴を分析単位にしていたものをだ。 または 「問題解決の進展状況」というものだ。 人々が 喉から手が出るほど欲しがっている治療を医療の世界で考えると分析単位は 問題解決つまり 治療に 進展が見られるかどうか という事だ。 その病気と折り合いをつける手助けをしたり残された時間を 充実して過ごす事を どうやって助ける?つまり 医者の医療行為を分析単位とするとリーダーシップとは 何者かという事ではなく実践する事だと解釈できる。

女性の声に耳を傾けた者がリーダーシップとは大きな職を得る事ではなく重要人物や頼られる人物になる事でもない。 たとえ事態の打開が図れなくてもその反対運動の指導者を「リーダー」と見なせるのでしょうか?そもそも その人を「リーダー」とは認識しない。 「反対運動」という権威の象徴として捉える。 その非公式な権威を与えられた人物は次に問うべき事は社会が直面しているさまざまな困難に対して進展をもたらすような働きを何かしたのか という事だ。

先ほど チャーチルはリーダーシップの発揮に失敗したと おっしゃいましたがリーダーシップの発揮を成果と結び付けて考える必要があるんですか?リーダーシップとはその発揮のしかたなのでは?それは 最終的な指標あるいは 結論を出す前に50周年記念の祝典があったばかりだね。 短期的な指標でもきっと 悪い方向より指導力を発揮するという観点から望ましい結果を出す可能性を高めるための指標は何かという事を理解してもらいたい。