初公開の作品も含めた本阿弥光悦の名品を味わい創作の秘密を読み解きます。 光悦は 古典を徹底して学ぶ家の方針に倣い漢文や和歌など さまざまな教養を身につけていきました。 東京都内に 光悦とも つながる本阿弥家の子孫が暮らしています。 光悦の漆の もう一つの傑作「樵夫蒔絵硯箱」です。 光悦が生きた 桃山という時代が関係していると言います。 恐らく そういう時代の最先端に生きていたというのがきっと光悦だと思うんですね。 これも光悦の蒔絵の作品ですよね。 そこに 光悦が和歌をしたためた全長13mを超える作品です。
絵の作者は「風神雷神図屏風」で知られる天才俵屋宗達。 当時 まだ無名だった宗達を起用しこの絵を描かせたという 光悦。 十五代目の 藤野雲平さんは光悦が使っていた当時の筆を今も作る ただ一人の職人です。 ふっくらとした太い線と細く鋭い線が共存する光悦独特の書はこの筆から生まれていました。 自分は こんなの できないよとかそういうところを超越していて…宗達の絵に刺激を受けスピードに乗り思いのまま筆を走らせた 光悦。 光悦は その上に「新古今集」の和歌を記しています。
1615年 58歳の光悦は時の将軍 徳川家康より 京都の北鷹峯の土地を拝領します。 光悦は ここに筆や紙を作る職人や呉服商を招き今で言う芸術村をつくります。 本阿弥光悦作。 光悦は 自らこねた 茶碗を最後 この家で焼いていました。 樂家に残された 光悦の手紙。 しかし 光悦の ある茶碗に出会い陶芸の道に進む事を決めます。 ほとりにある美術館に光悦の最高傑作と言われる茶碗があります。 光悦といえば 自分の一番好きな作家でもあるし。