今日は 秀吉型の上司への対処法をご紹介。 家康はどのように 秀吉とつきあいチャンスをものにしていったのでしょうか?作家の伊東 潤さん。 20年以上にわたったサラリーマン生活の中で 伊東さんは日本人から外国人までさまざまなタイプの上司とつきあい独自の処世術を編み出しました。 徳川家康の上司とのつきあい方を今週のテーマはですね先週から引き続きまして徳川家康の「上司との うまいつきあい方」。 家康から考えたら 信長よりも秀吉の方が 大変な上司?たちは 悪いかもしれない。 秀吉と家康にちなんだ こちら。
しかし そのころ家康は秀吉についてこう述べたと伝わっています。 ところが そんな家康が秀吉の恐ろしい手腕をしかし秀吉は とんでもない計略で形勢を逆転します。 翌年 秀吉は したたかな交渉術で更に 家康を追い詰めます。 二度も 秀吉に煮え湯を飲まされた 家康。 しかし ここに至って家康は 秀吉の力を率直に認め豊臣家に従う事を決めます。 宇喜多家は 西軍について家康に敵対。 かつて秀吉に したたかな交渉術で重臣を引き抜かれた 家康。
家康は 秀吉にはあえて 知略を見せず愚直に仕えて安心感を与える事に努めます。 その後も馬や太刀などの献上を名目にこの年 家康はいつでも 秀吉のもとに駆けつけられるよう…家康は すぐに 秀吉のもとに見舞いに行こうとしますが家臣たちは誰もが殺気立っている時に無防備に行くのは命を捨てるようなものと反対。 家康は その秀吉に才覚を誇示する事はかえって 警戒感をあおると判断。 秀吉には 徹底的に従いますよって安心感を与えてあげる。 秀吉というのは やっぱり 非常に奔放で アイデアマンなわけですよね。