今月末 富士山は世界文化遺産として登録される見通しになっています。 今 多くの日本人が富士山の価値を忘れてしまったのではないかと言います。 だって 富士山は日本人の心の寄る辺 中心ですよ。 今 富士山が何かっていう事をもう一回 自分の中でよく考える事を怠ってしまうと日本人は 自分の心の中心点よりどころ 寄る辺っていうものを永久に失っちゃうと思うんです。 富士山と日本人の物語です。 その起源を探るため富士山を祭った最も古い神社を訪ねました。 いえ これは 富士山の溶岩がここで止まったんです。
富士山と向かい合うようにU字型に広がる集落。 富士山を御神体として祭る神社では その後富士山に 一人の女神の姿が重ね合わされていきます。 赤人は 神々しく 壮大な姿をした富士山に感動し「田子の浦を通って眺めの良い場所に出てみると富士の山頂には 真っ白い雪が降り積もっていたことよ」。 平安時代になると 富士山の火山活動が 活発化します。 朝廷は それを鎮めるため富士山に 「浅間大神」という名前を付け 官位を授けました。 超人的な太子でなければ越えられない富士山。
家康公が奉納される時にやっぱり 富士山のイメージそんな事していいんですか?えっ?菊と自分のを並べてよかったんですかね 江戸時代。 「富士山頂…」。 その ご威光の支えの重要な部分は やっぱり富士山だったなという気がしますね。 徳川家康が 江戸にやって来て1590年 天正18年なんですけれどやって来て まず最初に開いた場所と言われています。 江戸城を挟んで 富士山とはちょうど反対側に位置しています。 通りの奥には江戸城の石垣が見え更に奥に 富士山がそびえます。
1707年 身禄 37歳の時富士山が大噴火。 富士山で修行を続けてきた身禄はこの時 庶民のために命を捨てる決心をします。 身禄の死後 その教えを弟子たちが広めたのが 富士講でした。 連綿として そういう考え方が続いてきたのを身禄さんは やっぱり一種の宗教的な天才ですからそれを自分の中へ同化しながら新しい自分流の考え方にそれと同じように富士講の 富士山を詣でるって行為を通して社会全体が変わっていくよというぐらいそれを日本人なら みんな分かるでしょって 言ってるわけですね。