スーパースターの林家木久扇でございます。 「何か いい名前ないかな」と思って一生懸命 探しましたら林家木久扇というのが2通ございまして。 木久扇で しばらく 頑張っていきたいと思っておりますがまあ なんとか 格好がついてまいりましたのが近頃でございましてね 8月の15日終戦記念日でございます。 林家三平師匠。 それから 立川談志師匠。 それから立川談志師匠という方は民間放送の大喜利の司会をやってらっしゃいましてその「笑点」という番組の元を作った方でございますね。
細かく見ておりまして 私たちがマイク置いて 休んでると「コノヤロー 何さぼってやんだ バカヤロー。 ニコニコ笑って ウロウロ歩け このバカヤロー」。 「バカヤロー コノヤローバカヤロー コノヤロー バカヤロー コノヤロー」。 それを 大変だっていうんで師匠が定期券自分で 上野の駅に買いに行ってね私に くれたんです 半年分ね。 で 師匠が亡くなりました時にね遺品を分けて下さるっていうんでご遺族がね長屋に いらっしゃって師匠の遺品を いろいろ弟子が もらったんですよ。
昭和36年に 私 入門致しまして西荻窪っていう所からずっと 師匠の所へ通っておりましてね朝の8時半までに師匠の家へ行くんですよ。 そうすると 師匠はお弟子さんが8時半に来るからきちんとしてなくちゃいけないって 几帳面な方でございます。 昭和36年ですから 師匠の家のテレビは 白黒でございます。 何 見てんのかなと思って後ろに回りますとバスケットボールの試合 見てるんです。 「えっ? こんなおじいさんにバスケットボールの試合が分かるのかしら?ああ そうか。
てめえなんか破門だよ~ん」って36回ぐらい破門になった覚えがありますがまあ そういう師匠に 私が弟子入りをしたという事ももう 縁でございますね。 そうやって お前だけが朝早くから仕事熱心。 先方は 京都の さるお屋敷にご奉公をしていたという」。 大きいお屋敷にご奉公をしていたという。 年は21 器量は十人並み読み書きができて輿入れの際には たんすの一棹も持ってこようって人だな」。 「何で そんな立派な人があっしみたいな貧乏所帯に来てくれるんですか?」。
私もお前さん働き者だからパタパタ パタパタ あおいでりゃな自然に 七輪の火なんかおこっちまうってこういう訳だからな。 朝顔の薄手のお茶碗で 銀のもも引きをはいた 象牙の箸でカミさんが飯を食う度チンチロリンなんて事いうね。 向こうは ポリポリなんて俺は歯が丈夫だから バリバリ。 チンチロリンのガンガラガン サックサクのザックザク。 向こうが たくあんポリポリ俺が 前歯でバリバリ。 チンチロリンのガンガラガン サックサクのザックザク向こうが たくあんポリポリ俺が 前歯でバリバリ」。