画家の名は 藤田嗣治。 異邦人として パリに生きた藤田嗣治。 去年9月 リニューアルした…僕は 藤田嗣治は「旅する画家」という印象がすごい強いですね。 特に 画家の世界観とかスタイルにすごい関心があるんですね。 特に 自分のスタイルを作り上げて世界で評価された。 そこで 自分のスタイルを作り上げた日本人がいたっていうのは尊敬しますね。 一方で 藤田という画家自分自身への思いみたいなもの考え方みたいなものをそこに はき出している。
19歳の時東京美術学校の西洋画科に進学。 当時 指導者の中心にいたのはフランスで 最新の絵画理論を学び藤田は 黒田が暗い色調を嫌う事を知りながらあえて 黒を多用しました。 当時 世界中から芸術家が集まった…藤田が アトリエを構えたのは裏通りにある 安アパートです。 だから帰ってしまえば そういう道どんなに出世したって美術学校の教授とかその辺りでしょ?「死んだら 人の運だと諦めてくれ」と手紙に書いた藤田。 パリで出会った画家たちのエッセンスを 次々と吸収しながら藤田は 自分だけの絵を探し求めていたのです。
東京藝術大学の木島隆康さんたちは炭酸カルシウムをオイルで溶くと黄土色に変色します。 藤田は 独学で日本画の筆さばきを磨いていたのです。 藤田は 日本人である事を武器にそして こちらを誘っているようなまなざしで横たわる裸婦。 自らのスタイルを究め 画家として一つのゴールに到達した 藤田。 45歳の時 藤田は それまでにないインスピレーションを求めて新しい恋人のマドレーヌと中南米への旅に出ます。 平野は パトロンとなって絵を買い上げ秋田に 藤田の美術館を造る計画を持ちかけます。