♪~本州の最北端 青森県の下北半島。 昭和44年華々しく進水した「むつ」は反対を押して出港を強行したものの5日目に放射線漏れ事故を起こした「むつ」は日本中の港から 入港を拒否されさまよえる船となってしまいます。 下北半島の太平洋側から津軽海峡にかけては北からの親潮と 南から来る黒潮がぶつかり合う全国でも有数の好漁場です。 高梨友次郎さんは この前年昭和39年に船を新造。
六ヶ所村 泊で 新聞販売店を経営する 松下志美雄さんは中学校の社会科の授業でむつ小川原開発計画の話を聞かされたといいます。 公害発生の懸念もあって開発反対の声が高まっていきます。 開発絶対反対の村長をよそに東京の不動産業者が村に乗り込み農地買収の既成事実が積み上げられていきました。 24で会社を株式会社にして自分が社長やってオヤジを会長にして…ちょうど その巨大開発に揺れてた真っ最中ですね。 開発反対の寺下村長に開発推進を訴える 前村議会議長の古川伊勢松候補が挑みました。
原子力船「むつ」の新しい母港としてむつ市関根浜が浮上と伝えたのは昭和56年1月1日の読売新聞でした。 陸奥湾の古くから知られた港町大湊に対し 外洋に面した関根浜。 日本海で行われていた底建て網漁を この浜に持ち込み中川一郎科学技術庁長官を送り込むなどして地元の説得に当たりました。 関根浜を訪ねた中川長官は「むつ」受け入れの引き換えとして漁港の整備などを提示します。 中川長官 来た時に みんなで自分の声を伝えるためにひとつシュプレヒコールを練習しましょう。
「長崎県の佐世保港を出港した原子力船の『むつ』は陸と海からの厳しい警戒態勢の中をかつての母港である青森県むつ市の大湊港に…」。 そして 海上保安庁の巡視船など51隻が警戒に当たるという文字どおりの厳戒態勢の中をゆっくりと今大湊港に入っています」。 漁業権放棄の是非を決める漁協総会。 県が提示する漁業補償金はこの時までに総額23億円に膨れ上がっていました。 今回 底建て網漁民の票がどう出るかが 注目の的だった多い人で1億円を超える漁業補償金を手にする事になりました。
原子力施設を受け入れ地域活性化の起爆剤としたい推進派放射能への不安が拭えない反対派が ぶつかり合い漁協総会が紛糾。 これだけ?出ていけ~!今すぐ 出ていけ〜!昭和61年6月推進派組合長の同意をもとに核燃料サイクル会社は海域調査に乗り出しました。 一枚岩だった泊の反対派漁民はあくまで「絶対反対」を貫くか核燃料サイクルを止める現実的な選択だと考えたのです。
更に 電源三法交付金や核燃料サイクル施設から上がる固定資産税で関連会社も含めれば 雇用を一手に引き受けている形です。 これを再処理してプルトニウムと更に強い放射能を持つ高レベル放射性廃棄物に分離します。 使用済み核燃料の搬出先として選ばれたのが再処理工場の建設が進む六ヶ所村でした。 再処理が始まったらリサイクルするという理由でまだ稼働していない施設に全国の原発から使用済み核燃料が集められたのです。