そんな中 山形県高畠町では都市の消費者と直接 提携した 有機農業で独自の道を切り開いてきました。 高畠町で 有機農業が始まったのは41年前の昭和48年です。 化学肥料や農薬に頼らない有機農業に取り組み始めました。 第8回は 日本一おいしい米作りを目指した山形県高畠町の歩みです。 奥羽山脈の麓 山形県高畠町。 高畠で 最も早く有機農業に取り組み指導者として活動してきました。 星さんと共に 有機農業に取り組んできた…小学生のころから家の農作業を手伝ってきました。
当時 二宮さんや中川さんたち高畠の若者たちは高畠の青年団は「出稼ぎ拒否宣言」を出します。 近代農業を 「健康を忘れ地力を忘れた農業」と批判し有機農業の普及に努めていました。 その主張に高畠の若者たちは共感し昭和48年 渡部さんや星さんたち38人の若者が有機農業では 農薬や化学肥料を一切 使いません。 最初の2年間で高畠町有機農業研究会の会員は半分近くに減りました。 有機農業を始めて 3年目の昭和51年東北地方は大冷害に襲われました。
当時 空中散布を受け入れる田んぼには白旗しかし 空中散布を受け入れる田んぼと受け入れない田んぼは隣接しているため赤旗を立てても農薬が飛散してしまいます。 最初に 空中散布を進めている高畠町農業協同組合に当時 農協で空中散布担当だった…当時 空中散布を実施していない地区では萩原耕重さん 58歳。 しかし空中散布に頼らざるをえない大多数の農家の実情にも心を痛めていました。 空中散布に どう向き合うのか?研究会は 発足以来の最大の危機に直面しました。 「環境汚染の原因は空中散布だけではない。