そんな中 山形県高畠町では都市の消費者と直接 提携した 有機農業で独自の道を切り開いてきました。 高畠町で 有機農業が始まったのは41年前の昭和48年です。 都市の消費者も農作業の応援に駆けつけ若者たちは新たな有機農業の拠点をつくり日本の戦後を地方から見つめるシリーズ「日本人は何をめざしてきたのか」。 第8回は 日本一おいしい米作りを目指した山形県高畠町の歩みです。 奥羽山脈の麓 山形県高畠町。 高畠で 最も早く有機農業に取り組み指導者として活動してきました。
近代農業を 「健康を忘れ地力を忘れた農業」と批判し有機農業の普及に努めていました。 有機農業では 農薬や化学肥料を一切 使いません。 最初の2年間で高畠町有機農業研究会の会員は半分近くに減りました。 有機農業を始めて 3年目の昭和51年東北地方は大冷害に襲われました。 ヘリコプターによる農薬の空中散布が広がり始めたのです。 しかし 空中散布を受け入れる田んぼと受け入れない田んぼは隣接しているため赤旗を立てても農薬が飛散してしまいます。
当時有機農業研究会のメンバーでした。 こうして 昭和61年 冬減農薬の米作りを推進する…当時 28歳の遠藤五一さん。 上和田有機米生産組合は平成14年から出品しています。 特に 基盤整備が遅れた上和田地区などで耕作放棄地を引き受ける担い手は いないのか。 町では 5年前から対策に取り組んできましたが農家の後継者不足を既に 30年前に予測し近所の農家から「米作りを やめたいから代わりに田んぼを耕してほしい」と頼まれたといいます。