ETV特集「94歳の荒凡夫~俳人・金子兜太の気骨〜」

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この番組のまとめ

金子兜太さんの ふるさとは山国です。 94歳になった誕生日を祝い埼玉県皆野町で俳句の会が開かれました。 金子兜太さんの誕生日を祝う句会が始まります。 じゃあ 「おめえの年はどのくらいだと 自分じゃ金子兜太さんは 月に1回東京・信濃町の病院へ通います。 金子兜太さんのがんは 肝臓から十二指腸への胆管の腫瘍でした。

ほんとに 合併症が起こって苦しんでらっしゃる時にそういう時でさえも 自分が手術を選んだ事を感謝して後悔とか そういうものは一切 お見せにならなかったし多分 金子さんは ほんとにそういう意味で 潔さというかケーキを お祝いするのを楽しみにしてましたし金子兜太さんは 自分は俳句と結ばれる運命の下に生まれたと感じています。

「強力な 殺戮兵器である魚雷のてかてかした 鉄の肌の上を兵器や食糧の 自給自足でした。 それだけじゃ危ないから落下傘部隊が おりましてね落下傘部隊の少尉っていう年配の人がいて 少尉の人がいてその人を借り受けてきてその人に指導してもらった。 そこ ひょいと気付いたら落下傘部隊の少尉もいねえんですよ。

兜太さんは 一茶が日記に記した「荒凡夫」という言葉に惹きつけられました。 何ものにもとらわれず 欲望のまま生きる 平凡な男 荒凡夫。 関東平野の私のいる熊谷なんかだとガラガラーッと来てねガーッといなくなるっていう一茶が60の時 あの人は毎日毎日 日記を書いてる。 短い日記 書いてる人ですがそれの正月の文にですね「自分は これから荒凡夫で生きたい」という事を書いてるんですね。 それで 荒凡夫で生かしてくれとそういって 書いてんですね。

「この 減点主義の職場でそんな事をしたら将来を 棒に振る事になるぞと忠告されたのですが本気で 立身出世主義を乗り越えて生活給を確保し学閥人事の廃止を目指しました。 「福島支店から神戸への転勤が決まり安達太良山に登って送別会をやってもらった。 当時の神戸は既成俳句を批判し「被爆から 13年たっていたが爆心地は いまだ黒焦げの感じで痛ましかった。 立身出世とは無縁のサラリーマン生活を送りながら金子兜太の俳句は一つの頂点を迎えました。 土の上での暮らしが 兜太さんの俳句世界を広げました。

私は あの時期というのは非常に大きな時期だったと私の頭の中にはあるんですけどねそれまでは だからあんまり大した変化はなくてそれで 相変わらず短歌の側からの意見として俳句というのは時事に対する反応が鈍いと。 県立福島西高等学校の国語教師中村 晋さんも その一人です。 あまり俳句は 中村先生に会うまで作った事はなかったので。