ETV特集「94歳の荒凡夫~俳人・金子兜太の気骨〜」

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この番組のまとめ

金子兜太さんの ふるさとは山国です。 東京に勤めていた兜太さんがふるさとに帰省し少年時代を思い出してため息のように詠んだ句です。 金子兜太さんの誕生日を祝う句会が始まります。 全員の注目が 兜太さんの一挙一動に集まります。 こういう 妙な生き物がいるんだという事を金子兜太さんは 月に1回東京・信濃町の病院へ通います。 執刀した 田辺医師は90歳を超え 何が起きるか分からないと説明しましたが兜太さんは 「悪いものは取る」と迷わず決断しました。 血糖値も全然 大丈夫です。

金子兜太さんのがんは 肝臓から十二指腸への胆管の腫瘍でした。 金子兜太さんは 自分は俳句と結ばれる運命の下に生まれたと感じています。 ♪「押せ押せ押せな」正調の「秩父音頭」を伝える中心人物です。 開業医だった父は 青年時代から俳句を詠み 俳号は伊昔紅。 これは 秩父人の山の中に育ってる人たちの♪「ハァーエ 一目千本 万本咲いて一目千本 万本咲いて」祖父や祖母に囲まれた大家族の中で育ちました。 中学から高校への 多感な時期日本は満州事変 二・二六事件日中戦争と戦争への歩みを進めていました。

部隊長は ペンネームを「西村皎三」という著名な詩人でした。 軍国主義の時代に 本音を語れる個人との出会いは鮮烈でした。 「強力な 殺戮兵器である魚雷のてかてかした 鉄の肌の上を兵器や食糧の 自給自足でした。 それだけじゃ危ないから落下傘部隊が おりましてね落下傘部隊の少尉っていう年配の人がいて 少尉の人がいてその人を借り受けてきてその人に指導してもらった。

あの時の みんなのワッショイ ワッショイ ワッショイって声が今でも私の耳の中に残ってますけども何でね もう死んじまった男を担ぎ上げてね一人の男が背負ってみんな 周りを囲んでねワッショイワッショイ ワッショイワッショイって言ったの 分からんですね。 その いたわり合う…いざとなった時に 死人を担いでワッショイワッショイと走っていくというあの いたわり合ってる温かい風景というのがね何か ひどく斬新に思えてたんじゃないですかね。

考えてみれば 私が何かで落ち込むっていう考えは…金子兜太の戦後はそこから始まりました。 本格的に 俳句に専念する時代がこの福島から始まります。 当時の神戸は既成俳句を批判しもっと 現実と取り組む俳句を求める「俳句前衛」と呼ばれる人々が集まっていました。 金子兜太は 俳句によって「被爆から 13年たっていたが爆心地は いまだ黒焦げの感じで痛ましかった。 金子兜太の俳句は一つの頂点を迎えました。 年齢を重ねるとともに金子兜太の目は人間に対する見方 命の捉え方を大きく変えていきます。