ETV特集「信さん101歳 ツルさん103歳~どっこい生きたふたりの100年」

戻る
【スポンサーリンク】
23:50:17▶

この番組のまとめ

信さんとツルさんは六畳二間の アパートで息子さん夫婦と4人で避難生活を送っています。 この人は 腸捻転で腸をこのくらい切ったんですよ。 何?腸捻転。 ん?腸ねじり 2回ぐらいやったでねえの?腸捻転やったでしょ。 腸捻転 2回やった…。 腸閉塞!腸閉塞 言う?腸捻転でねぇ 詰まり…。 結婚して77年 二人の会話はまるで夫婦漫才です。 しかし 避難生活は長引き9人が一緒に暮らせる場所は見つかりませんでした。 信さん夫婦と息子夫婦は会津若松市にはい おいしかった。

ツルさんの100歳の誕生日には大広間で祝賀会が開かれました。 一番奥にある机で 自分史の資料らしき ノートを見つけました。 信さんは 明治45年今の大熊町に生まれます。 11歳の少年が体験した未曽有の大震災。 近所の子供たちと集まって うちの近くで 遊んでおったんですがやがて収まってからうちに戻ってみたらその下が崖になっておってその崖の所に東北本線が走ってるんです。 ふるさと大熊町の実家で あやめを育てていたという信さん。 その5年後の昭和16年信さん29歳の時召集令状が届きます。

8月には 広島と長崎に原子爆弾が投下され 日本は降伏します。 「日本に帰すから」っていうんで汽車に乗せられて。 ところが日本へ帰すどころか逆に…信さんが乗った列車はユーラシア大陸中央部「ラボート ニェート ダモイ ニェート」。 そうすると ロスケがやって来て「日本に こういうのあっか?」と。 あのエネルギーは 日本人は必ず発揮できると思ったもんね。 軍国日本を つくり上げたあの力を平和のために使えば信さんが信じたとおり昭和20年代後半から 日本の経済は急激な成長を続けます。

原子力発電所の建設が始まったのです。 過去数百年にわたって地震や台風 津波などによる大きな被害を受けた事がない」。 道路は良くなるし公共施設は出来るしそんな家族に訪れた想像もしなかった出来事。 お地蔵さんの着物を一緒に着せに行った…会津若松にひ孫たちがやって来る時だけはかつての暮らしが戻ります。 ツルさんの体力を気遣い 代わりに信雄さんと惠久子さんが着物を着せてあげる事になりました。 実は 年末に インフルエンザにかかり1週間入院。 半年間 リハビリに励み元気を取り戻そうと考えました。