日曜美術館「画鬼と呼ばれた絵師~弟子・コンドルが見た河鍋暁斎〜」

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この番組のまとめ

♪~維新の激動が続いていた明治10年神田の ニコライ堂など西洋建築を次々と手がけ文明開化の波は不動明王の世界にまで押し寄せ炎のような赤いサンゴの衣装を着たその名も 地獄太夫。 コンドルの本を朗読しながら「画鬼」と呼ばれるようになった暁斎の伝記をたどりましょう。 当時 15歳だった暁斎は様々に変化する火勢を熟視し一心に そのスケッチを始めた。 絵師として人気が高まっていた34歳の時長野にある戸隠神社で暁斎は見事なパフォーマンスを披露し喝采を浴びます。

尾上菊五郎や市川団十郎など人気役者の顔をした妖怪が所狭しと うごめいています。 このような迫真の筆を揮えるようになった筆者五十年にわたる研鑽修業の成果でありこの値段はごく一部に過ぎませぬと。 暁斎に弟子入りした時29歳だった コンドル。 交流の様子は 暁斎が毎日のようにつけていた絵日記からコンドルの修業はまず 暁斎の描く様子をよく見る事でした。 そして 描き上げた コンドルの絵を暁斎が見る。 暁斎の教えを習得した コンドルは展覧会で賞を受けるまでになりました。

コンドルの事を イギリスの暁斎だと。 やがて師弟を超え 強い絆を結ぶようになった 暁斎とコンドル。 日光に行くため 上野駅に集合した暁斎と コンドルです。 それが いろんな鳥の形が頭の中に入ってるからコンドルは 暁斎から学んだ技法を丹念に記録しました。 「衣装をまとう 大きな人物画を精密に仕立てようとする時暁斎は まずその人物のヌードを 線描で描き正確な身体の比率や姿勢を把握しようとする方法をとった。