ETV特集▽信さん101歳 ツルさん103歳~どっこい生きたふたりの100年

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この番組のまとめ

♪~福島県双葉郡大熊町で暮らしていた吉田さん一家の家族写真です。 東日本大震災と原発事故。 吉田さん一家が暮らしていた福島県大熊町からおよそ 180km離れた会津若松市です。 信さんとツルさんは六畳二間の アパートで息子さん夫婦と4人で避難生活を送っています。 結婚して77年 二人の会話はまるで夫婦漫才です。 信さんとツルさんは福島県双葉郡大熊町に4世代9人で暮らしていました。 家は 福島第一原子力発電所から僅か2kmの所にありました。

1万1,000人が暮らしていた原発の町の ほとんどは帰還困難区域に指定されています。 自宅近くの小高い丘から見える福島第一原発の1号機です。 この日の放射線量は 25マイクロシーベルト。 11歳の少年が体験した未曽有の大震災。 やがて収まってからうちに戻ってみたら軒先に ぶら下げておった金魚鉢それが地震で落っこってその下が崖になっておってその崖の所に東北本線が走ってるんです。 そして そのうち避難民が 下の国道を歩いて関東大震災が起きた時ツルさん一家は福島県で農業を営みながら暮らしていました。

関東大震災を乗り越え時代は昭和になりました。 その5年後の昭和16年信さん29歳の時召集令状が届きます。 満州北東部のソ連国境付近で戦う事になります。 ツルさんたちがふるさとに帰った1か月後東京は大空襲により焼け野原になりました。 現在の カザフスタンにある炭鉱の町カラガンダに到着します。 それでも信さんは「いつかは日本に帰れるはず」と自分自身を励まし前向きに生き抜きました。 日本人は 「ヤポンスキー」。 強制労働では休憩の時間は全くありません。

あれは 大したエネルギーなんであのエネルギーは 日本人は必ず発揮できると思ったもんね。 信さんは 37歳の時好きだった英語を生かし双葉中学の英語教師になりました。 自転車で信雄がね 迎えに行ってそうして 自転車につけてくるんだ 後ろに。 一般に酒飲みに対して寛容だったんです 日本人はな。 余計な事 しゃべるな!あぁ?「この地方一帯は 農業を主とする静かな田園地帯で過去数百年にわたって地震や台風 津波などによる大きな被害を受けた事がない」。 「新しいエネルギー源による東京電力福島原子力発電所。