54体の人骨が物語るポンペイの最後の一日に迫ります。 麓には ポンペイや ヘルクラネウムなど古代ローマの都市が栄えていました。 ポンペイは 南イタリアのナポリ湾沿岸にありました。 ベスビオ山は たった一晩でポンペイの町と そこに暮らす人々を厚い火山灰で覆い尽くしたのです。 発掘された建物は当時 ポンペイで裕福な人々が贅沢な暮らしを送っていた事を示しています。 ポンペイは 都市としての機能性に優れていました。 ポンペイの人々の暮らしを知るための重要な手がかりが失われてしまったのです。
地下室に 大量の宝飾品や金貨を持って 避難していたんですね。 「ルキウス・クラッシウス・テルティウス」という名が省略した形で刻まれています。 発掘調査によって地下室の上に建っていた建物の全容が明らかになってきました。 グリーンマンは クラッシウスという名前の有力な商人であった可能性が大きくなりました。 地震のあとも クラッシウスには商いの仕事があり屋敷や財産がありました。 そして クラッシウスもまたポンペイでやるべき事がありました。
一般庶民も?ええ 果物やナッツ 魚や肉など非常に多彩でバランスの取れた食生活をしていました。 という事は裕福であってもなくても54人は 皆栄養状態は良かったわけですね。 人々は突然水不足の事態に直面しました。 ポンペイの水道システムは麻痺しました。 水不足は グリーンマン クラッシウスのような裕福な人々の暮らしにも影響を及ぼしました。 8月の ある日 円形闘技場で夏の試合が行われ大勢の観客が詰めかけました。 ここは ローマ帝国の中でも最も古い 円形闘技場です。