地球ドラマチック「ツタンカーメンDNA大解析(2)謎の死因に迫る」

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この番組のまとめ

父親である アクエンアテンは急進的なファラオとして名高くそれまで信じられてきた伝統的な宗教を否定しエジプトを混乱に陥れた人物でした。 ツタンカーメンは 父親が築いた新しい都アマルナの王宮で新たな宗教を信仰する父親のもと6人の姉と共に成長しました。 混乱の原因は アクエンアテンの急進的な宗教改革にあります。 アクエンアテンは 伝統的な神々を否定しそれまでの都を放棄しアマルナに新しい都を築きました。 人々は アクエンアテンが提唱した新しい宗教を受け入れられなかったんです。

ツタンカーメンが アマルナで過ごした最後の日々を解明できるかもしれません。 ツタンカーメンが即位した時の名前です。 ツタンカーメンが アマルナの地で幼くしてファラオになった事を示しています。 ツタンカーメンは アマルナで即位して都を移すまで何年かは ここで統治していたという事ね。 しかし 真実は胎児とツタンカーメンの DNAを比較する事でしか分かりません。 ツタンカーメンには 臣下に頼りきりの少年王というイメージがありますがその証拠を求めてある墓へ向かいました。

壁画は ツタンカーメンが強いファラオだった事を証明しています。 ツタンカーメンは成長すると戦いを率いるファラオとしてチャリオットを乗りこなし弓矢の腕を磨きました。 車輪の状態から ツタンカーメンがこのチャリオットを かなり使い込んでいた事が言えるわね。 ツタンカーメンの治世末期エジプトと 長年の敵であるヒッタイトの間で戦いが起きました。 これは チャリオットに乗っていたヒッタイト軍の男がエジプト軍の矢によって振り落とされた瞬間を描いているのでしょう。

ドイツでは ハワス博士の要請を受け各国から集まった放射線医学の専門家たちがツタンカーメンのCTスキャン画像を再調査し早すぎる死の謎に迫ろうとしています。 ツタンカーメンに限らず ファラオは皆儀式用に 杖を持っていました。 しかし ツタンカーメンの墓にはどのファラオよりも多い 130本もの杖が納められていたのです。 ツタンカーメンは不自由な足が原因で倒れ骨折したのかもしれません。 当時エジプトで流行していた病気にツタンカーメンがかかった形跡がないかDNAを解析するのです。