描いたのは 奥村土牛。 さあ 今日は明治から大正 昭和にかけて101歳まで 日本画で第一線で活躍した奥村土牛です。 本当にこう さまざまな不思議が秘められた作品ですが今日は この「醍醐」から奥村土牛を読み解いていきたいと思います。 日本画家 奥村土牛。 この作品は 土牛さんが83歳の時に描いたんですけれどもむしろ もう心象風景的に醍醐の桜っていうものとその置かれた風景といったものに土牛さん自身が得た感動とかそういったものがこの絵の中に表現されているように思います。
楽園をテーマにした作品で知られる三好和義さん。 だんだん スケッチをするにつれて土牛の中での美しい形というのが ここに。 そういうものというのは本人に 品格があればこそというのが前提かもしれないですけどどのようにしたらこのように 作品として反映されるのかって思いますよね。 実際にそれ以降の作品というのは土牛は妻のふるさと 徳島を訪れた際渦潮に 心を奪われました。 新しい日本画現代が求めている日本画をまあ表している代表する作品だったと思いますね。
ほんとに気が付かないぐらい薄いのを何回も何回も 土牛先生はやってらっしゃった気がしますね。 これでも 今ちょっと塗り過ぎたかなと思うぐらいですからほんとに気が付かないぐらい薄いのを 何回も何回も土牛先生は やってらっしゃった気がしますね。
確かに これで もう完成したこれ以上のものはもう描けないとなったらそういう意味じゃ 芸術家ってもう そこで終わりなのでもっと描きたいっていう気持ちがずっと最後まであるというのはうん… いいなというか羨ましいなというかすごいなと思いますよね。 三好さん広角で 全てを写すのではなくそれこそ ズームレンズで幹を中心にねらっていったそれ以外に もっと自分の気持ちをそこに反映できるっていう構図それを考えて決めた構図じゃないかなと思いますね。