それは絶対的な主君 豊臣秀吉と統治を成功へと導いたのでしょうか?そのキーワードは…今宵は 戦国の中間管理職加藤清正の知恵を手がかりにあの勇猛果敢なりりしいお姿。 実は今日は加藤清正に詳しい方をお招きしてるんですよ。 山田さんは史料を丁寧に読み解き清正の実像に迫る研究に取り組んでいます。 勇猛なイメージの強い人物であるのは間違いないんですけど最近の研究では随分細かい人柄であるとか随分 まさに板挟みにあって苦労 苦悩した今のサラリーマンにも共有できるようなそういう人物像が実は明らかになってきています。
清正が着任する前秀吉に反発した一揆勢が最後まで抗戦を続けた場所です。 清正にとって秀吉というのは自分を引き取って世に出してくれた育ての親という存在でありしかも 自分に大名として 武士として必要な知識とかノウハウを教えてくれた師匠でもあるんですね。 松井さんは上司や仕事のプレッシャーとはどういうふうに向き合おうというふうに決めてますか?基本的には…基本的には正面突破する以外に方法がないんですよ。 肥後統治の中で人心を安定させるために重要なカギとなったのが城下町を流れる白川の治水です。
清正軍の中には佐々成政の下にいたベテラン家臣たちもいました。 あれ見てますと やっぱり基本的に経営で言うとねだから 治水の現場は専門家もいるんでしょうけど任せてしまうというのが一番 駄目なんですよ。 でもね 宮崎さんよく マニュアル主義っていうマイナスの意味でも取られがちですよね。 基本的に…ですから 能でも型破りというのはベテランの役者さんがずっと積み重ねていって最後に 創意工夫をする。
清正には 肥後統治以外の仕事も秀吉から多く課せられていました。 清正は 一体 どんな取り引きをしていたのでしょうか?清正は 肥後の大名になる前日本の海外貿易の中心だった大坂・堺の近隣で代官をしていました。 しかし肥後の土地柄と つながると清正に 大きなビジネスチャンスが生まれるのです。 清正は情報を生かした海外貿易をバックに海外貿易心配じゃなかったんですかね。 もう一つ 3番目のやり方これが 一番リスクがないんですが海外から日本に来た貿易船と貿易をすると。