日本の話芸 落語「崇徳院」

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この番組のまとめ

あんな物 何に使うのかな?いままでの先生は栓抜きなんか 使わなかったよ。 先生 さっきから だいぶ 家内の唸りが ひどいようなんですが昔は 恋患いというのがよく ございました。 昔 「君の名は」というのがございましてこれが 昭和27年から 29年までNHKラジオ 「連続放送劇」というやつですな真知子と春樹 ね~この二人が 数寄屋橋で「本当に 会いたい 会いたい」と思ってても これが 会えない。

デートでも 何でも そうですが「明日の午後 2時 渋谷のハチ公の頭のほうか 尻尾のほうか」ここまで ちゃんと約束したもんです 我々は。 そういう 訓がありましたからですから 今でも昔気質の人になりますってぇと結婚しても まだ 奥さんと一緒に歩く事ができない。 いや いや 若旦那 お加減悪いって伺ってたんでねお見舞えに伺わなくちゃならねえと思いながら『貧乏暇なし』ってやつで とうとう今日まで うっちゃり放し。 で どうです? 若旦那」。 で 若旦那ね 大概の事は私に話してくれるんですよ。 「若旦那。

「冗談 言っちゃいけねえ 若旦那。 「それじゃ 言うけども私の病気は 恋患いなんだ」。 一遍だけ笑わせてもらいましたがねまた 恋患いたぁ 古風な病気をどこで 背負い込んできました?」。 「二十日ばかし前に 上野の清水様へ お詣りに行きました」。 向が岡湯島の天神 神田の明神ね左のほうを見てくってぇと聖天の森から 待乳山が見えていい所だ ああ。 膝に茶袱紗という物が載っていた。 その短冊を見ると ご覧きっと 夫婦になりましょう』という心の歌だ。

ね? 大事にしてんでしょ?それからね若旦那 また 顔を出しますがね昔から 『病が3分 気が7分』って事を言うよ。 「それからね若旦那が 茶店へ 腰を下ろす。 間もなく 若旦那の前をお供の人を 3人 連れてねお嬢さん風の人が腰 掛けたってんだがこの人の顔を見て驚いたてんだ。 お嬢さんも 若旦那を見ていたがやがて お嬢さんが立ち上がると何か 膝にね 茶袱紗ってやつが載ってたらしい。 若旦那 ああいう 親切な方だ。

親馬鹿ちゃんりん 蕎麦屋の風鈴フフフ なるほどね。 この 住んでる三軒長屋。 いままでは 長屋の熊さんだったけど 今度は大家さんの熊さんになれるんじゃないか。 俺だって一生懸命 捜してんだよ」。 「勝手にしやがれ チクショウメ。 あ~ 冗談じゃねえや ええ?毎日 毎日こうやって 表 ほっつき歩いて足は棒みてえになっちまうし お前家 帰りゃ 嬶にポンポン ポンポン 言われるしあ~ 駄目だ こりゃ 下手すると若旦那より 俺のほうが先 逝っちまうかもしれねえや。

「納豆屋さ~ん」。 「今頃 納豆屋が通るかよ。 あっ そうだ おっ嚊床屋へ入れっつったな。 「お宅は床屋さんですね?」。 「お宅は床屋さんですね?」。 「あの~ もし あなたそれ あの〜崇徳院様のお歌じゃありませんか?」。 お湯屋へ 18軒 床屋へ 36軒もう 夕方までにはフラフラになっちゃって。 「お宅 床屋さんですね?」。