日曜美術館「祈りの仏画 鈴木空如と法隆寺金堂壁画」

戻る
【スポンサーリンク】
20:14:37▶

この番組のまとめ

♪~明治から昭和の初めにかけ生涯 5,000もの仏の絵を模写した…壁画模写によって仏が一尊でも殖えることを何よりの喜びと悪戦苦闘の決心」。 この原寸大の模写が存在する事の…今から100年も前昼なお暗き法隆寺金堂に籠もり1,300年余りの時を越えて伝わる壁画と向き合い続けた 空如。 こんな顔だちをされているんですけれども…まずは その法隆寺金堂の壁画との関わりから空如について見ていきたいと思います。 空如が模写したのは燃える前の この壁画です。

現在 法隆寺金堂を彩る再現壁画には空如の模写が生かされているのです。 もともとあるものを模写して伝承していく事が仏画なんだなとは当時は やはり 模写するならば鈴木空如ここにありっていう感じだったんでしょうかね?だから手段でもない 目的でもない。 鈴木空如のふるさと 秋田・大仙市。 米どころである この東北の町に明治6年農家の6人兄弟の末っ子として空如は生まれました。 荒々しくも繊細な筆遣いの法隆寺金堂壁画の模写。

この町の花見寺界わいで暮らしていた空如はその かわいがりようは娘の成長を事細かに記した育児日誌からもうかがえます。 空如の暮らしの真ん中に仏画があった事が分かります。 「救世的世界の大芸術法隆寺壁画に心血を注ぎ来たりし壁画十二面八十一尊のうち観音菩薩は現今の芸術家の夢想だに及ばざる名画に御座候」。 空如にとって金堂壁画の模写というのはできるだけ たくさんの方々にこれは どれだけの美しい壁画であるかという事を伝える事が目的。