その知られざる交流秘話とは?数々のヒットを飛ばし 江戸の流行を作り出した男 蔦屋重三郎。 店のヒットメニューは「うにのスパゲティ」。 「うにのスパゲティ」 落合さんとこのヒット作ちゃいますの あれ。 そういうヒット作っていうのはどういうふうにして思いつくものなんですか?それは ヒットを出そうと思って僕は考えたわけじゃなくて例えばイタリアで 当然 イタリアもうにのスパゲティがあるのでイタリアで食べた時にもっとこうしたらいいのになって思いがあったんですよ イタリアでは。
江戸東京博物館の館長でいらっしゃいます竹内先生でいらっしゃいます。 竹内さん今日 蔦屋重三郎について話そうと思ってるんですが…。 これ お持ち頂いたものはどういったものでしょうか?江戸時代庶民が好むような出版物がいろんな種類出るんですね。 大体 「カチカチ山」とか「花咲か爺さん」とか「金々先生栄花夢」っていう面白い名前ですけど田舎で育って 退屈で貧乏でやだやだっていう豆まきをやったりあらゆる栄耀栄華やるんです。
一発ヒットを出すだけだと 駄目だと。 一発ヒットも大事ですけどヒットした ヒット作をず~っと 必ず 同じに作り続ける。 ロングヒットね。 「吉原細見」でヒットを飛ばした蔦屋重三郎なんですがこのあと 更なるヒットを生み出していくんですよね。 狂歌とは 洒落や滑稽社会風刺を盛り込んだ五七五七七形式の歌です。 そこは 武士も町人も身分を超えて集う場所名の知れた人気狂歌師も誕生しました。 この狂歌ブームに目をつけたのが蔦屋です。 蔦屋は まず 狂歌界の大スター四方赤良と親しくなります。
その後 他の版元が手を出そうとしても主だった狂歌師たちは既に 蔦屋に抑えられておりヒットは 蔦屋が独り占めしたのです。 どちらも まさに蔦屋自らが狂歌のファンになったからこそ気付いた アイデアでした。 自分がファンになるというのが ヒットを生み出す蔦屋の秘訣でしたがそれ以外にも 蔦屋重三郎ヒットを生み出す秘訣というのがあったんですね。 また 吉原のなじみの店で遊女を描く機会を与え一時は…蔦屋は 時間をかけて歌麿の才能を育てていきました。
今回は 蔦屋重三郎が愛した江戸時代 最大の歓楽街 吉原はグルメタウンでもありました。 その中で山屋という店が出していた豆腐は吉原名物の一つとされその人気は歌にも詠まれるほどでした豆腐は 夜桜や雪見酒に欠かせぬ風流なおつまみだったようです江戸っ子は新し物好きでございますので中には 吉原帰りに あちらでは朝食が出ないという事で落合さん この昔から伝わるしっかりした お豆腐で牛乳を にがりのようなレンネットというので固めて作る。 「イタリアンマーボー」。 しかも 「蔦屋流イタリアンマーボー」。