先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 戦国のプロデューサー「千利休」(後編)

戻る
【スポンサーリンク】
06:04:07▶

この番組のまとめ

利休は一体 どんな知恵を使って天下一の茶人へと上り詰めていったのでしょうか?その知恵を一緒に読み解くのがアートディレクターの佐藤可士和さん。 そして先週最後に お約束したようにこの「利休焼」というのを ちょっと作ってみたんですけれども味わって頂けますでしょうか?すごい おいしそうですね。 利休の百年忌以後だんだん利休箸だとか 利休下駄とか利休頭巾とかそれから 利休雪駄とかそういう名前でどんどん どんどん出てきましてとうとう 利休焼まで出てきて。

例えば 信長の時代っていうのは今井宗久 津田宗及千 利休だったんです。 そうして天下一の茶人へと上り詰めた 千 利休ですけれどそこには 一体 どんな知恵があったんでしょうか?とにかく豪華で派手好きの天下人。 黄金の茶室は利休が 秀吉をプロデュースするために生み出したと考えています。 黄金の茶室は秀吉の派手好みを見事に実現しその威光を見せつけました。 しかし 利休は自身の美意識をも黄金の茶室で実現させたといいます。 それは 利休と秀吉異なる才能が ぶつかり合う事で生み出されたものだといいます。

その時に 秀吉という違った世界の武将から「こういう事をやりたいんだけど」と言われた時に「待てよ」というふうにして拒絶してしまうだけじゃなくて一度 考えて そして そこでそれを取り込んでいって利休にとっての メリットというのは自分の考えてた面白い事を実現できるというメリット?秀吉公を使いながら 自分でやってみたいなという気持ちはもちろんあっただろうしそこが お互いに接近させて利休以前 茶道具といえば 唐物。 実用品の中に新たな価値を見いだした事で利休の時代から 400年以上茶碗を焼き続けてきた樂家。

実は 今日利休がプロデュースしたものそこから生み出されたものを先生に お持ち頂いてるんですよ。 もちろん時代は 少し下がりますが100年くらい 利休の時代よりは100年 下がりますけれども利休が プロデュースし瞬く間に世間に浸透した黒樂茶碗。 例えば…「木守」とは 利休が持っていたそして 最後にたった一つだけ残った茶碗に利休は「木守」という名前を付けました。 利休は残り物でも 名付け方一つで名物道具に変えてしまうそれにみんな反応するものですか?名前 付けただけで。