先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)傾いた組織を立て直せ!▽上杉鷹山(前編)

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この番組のまとめ

あのケネディ大統領も絶賛した上杉鷹山という人物。 どうでしょう 大木さん上杉鷹山という人物。 こういった言葉を言った上杉鷹山という人物どんな人物だったんでしょうか?米沢藩の藩政改革を成功させた名君という事で江戸時代の中後期の代表的な人物なんですね。 それに感銘を受けたケネディ大統領は「尊敬する日本人は 誰ですか?」と聞かれて「上杉鷹山です」と答えたんですね。 取材に行った新聞記者たちが上杉鷹山を知らなくてですね「それ 誰だ?」という。

一公共交通機関の会社の問題ではなくて地域全体の問題になってしまうという事。 しかし 関ヶ原の戦いで徳川家康に敵対したため度重なる減俸で 石高は8分の1になったにもかかわらず上杉家では 名門の誇りから6,000人の家臣団を維持し続けます。 藩主の座を譲ったのが九州の高鍋藩から養子に迎えていた 治憲赤穂藩が 5万石で大体300人ちょっとなんですね。 その中でも 鷹山はリストラの中でも 人員削減というとこには いかなかった。 経営者として 安易にリストラとか人員削減にいくというのはあまり策としてはよろしくない。

着物は 木綿に変えるなどしてそれまでの藩主の1年間の…忸怩たる思いでその姿を見た 鷹山。 なんと 重臣たちの挨拶が終わるやいなや鷹山は 下級藩士や足軽のもとに歩み寄り 声をかけ始めたのです。 下級武士たちの中にも養子である藩主の単なる 人気取りだと理解されていきます。 厳しい兵農分離が定められていた時代藩主が農具を持つなどありえない事でした。 お礼に 餅を作りやがて 鷹山の姿勢は農民だけでなく下級武士たちの心を動かしていきます。 当時 鷹山は新田開発事業を進めていました。

鷹山が特別扱いをした人物の名は…銀子30枚の支度金に加え縮緬や酒など 100両分の品物を用意していました。 その上 鷹山は 米沢までの旅費や滞在費だけでなくこの好待遇ぶりに平洲を亡き者にしようと言いだす藩士も現れるほど。 武士以外の人々の意識改革も必要だと提案。 この細井平洲という人どんな人だったんでしょう?尾張藩出身の儒者なんですけど儒学者なんですね。

細井平洲の面白いところは農民とか 町人に対してもそういう農民たちの自発性を活性化するような教えだと思いますね。 鷹山は 苦しい時でも人材育成にかける金だけは譲れないという人間でしたが小嶋さんは 苦しい時の これは譲れないんだ というものってどんなものがありますか?いくつかあってね私自身が乗ってみたくなるような電車や バスや フェリーやそういう やはりデザイン性の高い事そんなものはどうしても削れない。