先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) これが私の選ぶ道「向田邦子」(前編)

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この番組のまとめ

今日ね 申し訳ないんですけどね女子会なので女子限定なんですよね。 ちょっと待って!東京・大田区で町工場を経営されています諏訪貴子さんでいらっしゃいます。 経営者 女社長ですか?そうですね 一応。 女性経営者として今 ちっちゃめですけども飲食業をやってます。 あの方といいますのは皆さんのような働く女子の大先輩でいらっしゃいますその向田邦子の代表作であります「父の詫び状」。 そのお得感 そういった庶民性を非常に愛していた向田邦子なんですね。 今宵は 向田邦子の知恵をたっぷりと味わって頂きたいと思います。

諏訪貴子さんはこの向田邦子という人物まだまだ 女性が働きづらい時代からバリバリと一線で活躍してきた。 筒井ともみさんは優れた脚本家に贈られる「向田邦子賞」を受賞。 数多くのテレビドラマや映画の脚本を実際に 生前の向田邦子さんにお会いになった事もあると?それから10分とか20分ぐらいたってちょっと トイレに行きたくなって立ち上がったんですよ。 ほんとに数々の名作を残した向田邦子なんですが出発点というのは 誰しもが通るような普通の悩みを抱えたそこからの出発だったわけなんですね。

筒井さんは向田原作のドラマで昭和を舞台にしたものを手がけられていますけれども当時の時代背景というんですかね女性が 仕事や家庭で自由に生きていくというのはやっぱり難しい時代だっだと言えるのでしょうか?例えば 新聞社とかって話しに行くと「へえ~ そんな事考えてるの?」みたいで。 諏訪さんは 最初は やっぱり今のお仕事と関わるようなものだったんですか?へえ~!ただ 理系で工学部だったので資料を請求したらですね技術系の資料しか送られてこなくて。

映画雑誌の記者として 新たな一歩を踏み出した向田ですがその後 どんな道を歩んでいったのでしょうか?ご覧下さい。 私は そっちの方に苦労は分かるけど…昭和37年まだ駆け出しだった向田は森繁の一人語りによるラジオ番組に 抜てきされます。 何だい その言いぐさは!向田は 森繁と二人三脚で映像表現の面白さを追求したのです。 おい! おい 里子!はい!そして 昭和49年「寺内貫太郎一家」を発表します。 向田は 頑固な自分の父をモデルに主人公・貫太郎を描きました。