戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第3回

戻る
【スポンサーリンク】
23:00:07▶

この番組のまとめ

丸山眞男。 昭和35年新安保条約が強行採決されると丸山は政府を批判一躍 時代の旗手となります。 今年 生誕100年を迎えた丸山眞男。 生前 メディアへの露出を極端に嫌った丸山ですが丸山は その思想遍歴を生々しく語っていたのです。 民主主義を巡る丸山の思索は陸軍1等兵で迎えた敗戦とともに始まりました。 戦後民主主義に大きな希望を抱いた丸山眞男。 丸山は 大正3年 1914年新聞記者 丸山幹治の次男に生まれました。 この年 丸山は第一高等学校に入学します。

丸山は 民主主義の原点を明治維新にまで遡って考えようとします。 丸山は 北陸や長野などに向かい一般の人々に 民主主義をテーマに語りかけていました。 そのころから やはり…衆議院で 新安保条約批准の採決を強行します。 強行採決を批判し 「民主主義を守れ」と主張した丸山は多くの市民の共感を得ます。 新安保条約は6月19日に自然承認され丸山は 新安保条約の成立から2か月後 ノートにつづりました。

三重県四日市で石油化学コンビナートによる大気汚染が問題となるなど各地で公害が深刻化します。 敗戦直後 庶民大学をつくり丸山を講師として招いた静岡県三島市。 海外滞在中 丸山は度々昭和20年8月6日丸山は 広島で被爆していました。 丸山が いたのは爆心地から およそ5kmの宇品の陸軍船舶司令部でした。 という事になれば…丸山は 法学部教員の立場から沈黙を守っていました。 全共闘の学生は 丸山に対し「形式的原則に固執して回答を拒否している」と批判を募らせていきます。