日曜美術館「画鬼と呼ばれた絵師~弟子・コンドルが見た河鍋暁斎〜」

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この番組のまとめ

河鍋暁斎の作品を展示する美術館があります。 これは コンドルさんから 直接頂いたと思うんですけれども暁斎の人生や 絵の技法が克明に記されています。 「画家としての生涯を通じて暁斎は不気味で慄然とするようなものに心惹かれていた。 当時 15歳だった暁斎は様々に変化する火勢を熟視し一心に そのスケッチを始めた。 燃え盛る炎は後年暁斎が得意とした地獄極楽図に生かされます。 実は 暁斎が御殿女中の尻を追いかけたのは帯の模様を写生するためでした。

このような迫真の筆を揮えるようになった筆者五十年にわたる研鑽修業の成果でありこの値段はごく一部に過ぎませぬと。 暁斎に弟子入りした時29歳だった コンドル。 コンドルの修業はまず 暁斎の描く様子をよく見る事でした。 そして 描き上げた コンドルの絵を暁斎が見る。 「数年間 少なからぬ肉体的な困難と戦いながらも師の話・説明を聴くことそして 細部の仕事で師の助手をつとめることそれは やっぱり暁斎に伝わってきてるんでしょうね。 コンドルの事を イギリスの暁斎だと。

日光に行くため 上野駅に集合した暁斎と コンドルです。 かつて 実物を前に写生した綿密な模写や スケッチは細部を ことごとく心の中に焼き付けるという目的にたった一度だけ 役立てばそれで終わりというように思えるのである」。 暁斎は 技法の奥義を コンドルが身に着けられるようにこれらの鯉を 暁斎がどのようにして描いたのか「頭部や顔の細部は やや薄い墨を含ませた 極めて細い線で写し次に 胴体の鱗を細い線で かたどっていきます。 暁斎は コンドルのためにこの屏風を描きました。