戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第3回

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この番組のまとめ

昭和35年新安保条約が強行採決されると丸山は政府を批判一躍 時代の旗手となります。 民主主義を巡る丸山の思索は陸軍1等兵で迎えた敗戦とともに始まりました。 戦後民主主義に大きな希望を抱いた丸山眞男。 丸山ゼミで学んだ政治学者石田 雄さん 91歳。 この 抑圧の移譲は軍隊だけでなく丸山は こうした戦時中の体制を「無責任の体系」と呼び分析する事で これを乗り越える道を切り開こうとしたのです。 丸山の講義はヨーロッパの社会思想史など10回以上にわたりました。

明治維新後の日本に西洋の制度や理念を福沢の主張に 丸山は 新時代の精神を見いだしていました。 昭和35年1月岸 信介首相は アメリカとの間で新安保条約を調印します。 そのころから やはり…衆議院で 新安保条約批准の採決を強行します。 吉本は豊かさを求める人々こそ丸山は 高度経済成長の下での人々の意識を予測できなかったと30年後に語っています。 昭和21年 敗戦の翌年に生まれ高度経済成長期に育ちました。

敗戦直後 庶民大学をつくり丸山を講師として招いた静岡県三島市。 丸山が いたのは爆心地から およそ5kmの宇品の陸軍船舶司令部でした。 全共闘による林 健太郎文学部長の監禁に抗議した事もあり丸山は体制側と見なされるようになります。 丸山と交流があった 当時教養学部の助教授 折原 浩さん。 全共闘の学生は 丸山に対し「形式的原則に固執して回答を拒否している」と批判を募らせていきます。 当時 文学部の助手だった加藤尚武さんは百数十人の学生に取り囲まれる丸山の姿を目撃しました。