師匠となった暁斎は弟子のコンドルの家に出向き絵を教えました。 コンドルの絵を見る 暁斎。 コンドルの本を朗読しながら「画鬼」と呼ばれるようになった暁斎の伝記をたどりましょう。 燃え盛る炎は後年暁斎が得意とした地獄極楽図に生かされます。 歴史上の人物を描く場合絵師として人気が高まっていた34歳の時長野にある戸隠神社で暁斎は見事なパフォーマンスを披露し喝采を浴びます。
審査官は 暁斎を呼び付け鴉一羽を描いた画にしては法外な値段ではないかと難詰した。 暁斎は週1回 人力車に乗ってコンドルの家に 出稽古に行きました。 そして 描き上げた コンドルの絵を暁斎が見る。 「数年間 少なからぬ肉体的な困難と戦いながらも暁斎の指導のもとに日本画の技法を実践し得た。 暁斎の教えを習得した コンドルは展覧会で賞を受けるまでになりました。 コンドルの事を イギリスの暁斎だと。 やがて師弟を超え 強い絆を結ぶようになった 暁斎とコンドル。
「暁斎は 無形の ほとんど捉えどころのない対象さえ自然描写の中でコンドルが着目したのは岩の描写法です。 コンドルが 躍動感あふれる筆遣いの秀作として挙げた 暁斎の絵。 暁斎は 技法の奥義を コンドルが身に着けられるようにこの鯉の絵を コンドルの前で描いて見せました。 これらの鯉を 暁斎がどのようにして描いたのかコンドルは 克明にメモしました。 暁斎は コンドルのためにこの屏風を描きました。