先人たちの底力知恵泉(ちえいず)戦国の中間管理職▽加藤清正のマネジメント術

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この番組のまとめ

虎退治 そして数々の戦場で武功をあげた猛将として知られる 加藤清正。 それは絶対的な主君 豊臣秀吉と一筋縄ではいかない 領民や家臣たちとの板挟みになった統治を成功へと導いたのでしょうか?そのキーワードは…今回 清正の知恵を読み解くのは松井忠三さんです。 今宵は 戦国の中間管理職加藤清正の知恵を手がかりに逆境を乗り越え 成功をつかみ取るマネジメント術に迫ります。

清正が第一の方針に掲げたのは一揆で荒れ果てた農民の生活の安定でした。 清正は 家臣たちに非常に具体的で 細部にこだわった命令を出す事で物事を進めていったのです。 肥後統治の中で人心を安定させるために重要なカギとなったのが城下町を流れる白川の治水です。 細部に心を配る清正の性格が遺憾なく発揮されたのがこの治水工事です。 清正自ら舟に乗り水の流れや勢いを何度も自分の目で確かめて工事計画を練りました。 清正と共に肥後半国を統治していた小西行長の領地で秀吉に反発する一揆が新たに起こったのです。

こちらが 松井さんの会社の各店舗にあるマニュアル。 このように 業務にまつわるありとあらゆる事がマニュアル化されています。 じゃあ このマニュアルが出来る前と後では もう全然違った?でもね 宮崎さんよく マニュアル主義っていうマイナスの意味でも取られがちですよね。 「マニュアル人間になるな」みたいな言い方する方もいますよね。 基本的に…ですから 能でも型破りというのはベテランの役者さんがずっと積み重ねていって最後に 創意工夫をする。 我々のマニュアルも 全部そうですね。 その一つが肥前 名護屋城築城です。

清正は 一体 どんな取り引きをしていたのでしょうか?清正は 肥後の大名になる前日本の海外貿易の中心だった大坂・堺の近隣で代官をしていました。 どうでしょう? 心配性という事で見てきたんですが海外貿易心配じゃなかったんですかね。 清正の場合は3つの貿易手法を使ってそれだと 一番 儲けは大きいんですが 当然リスクが大きい。 管理職としての清正悩んで心配はするんですが自分で素早く決断してるという感じがするんですよね。