ニッポン戦後サブカルチャー史 第3回「60年代(2)劇画とナンセンスの時代」

戻る
【スポンサーリンク】
23:01:07▶

この番組のまとめ

オリンピック開催の年 そんな子供向けのマンガ誌とは 一線を画す「マンガは 子供の娯楽」というそれまでの価値観を覆し一部の若者たちの熱狂的な人気を獲得した。 異端のマンガ 「カムイ伝」は 一体 なぜ熱狂的な支持を得られたのか?若者たちの中には国や政治の在り方に疑問を抱き政治運動などに のめり込んでいく者も少なくなかった。 当時 全共闘世代の若者たちを数多く取材していたジャーナリスト 田原総一朗は「カムイ伝」の魅力を こう語る。

手さんは もちろん すばらしい漫画家だと思うんだけども白土三平さんをはじめとするある種類の劇画家たちというのがいたと思うんです。 でも 切ないなと思ったのは時代の変化とともに批判的なコメントが投稿されたりとか「こんなのは間違っていた!こっちには こういう正しさがある」というふうにその左翼の中での反発があって戦後政治運動が起こるわけですね。 全ての…今の「サブカルチャー」という言葉はマンガも大きく占めていると思うんですけれどもそれの スタート地点という感じがするんですよ。

「天才バカボン」は 更にナンセンスを追求する事によってマンガというフォーマット自体をも破壊していく。 今の見てたらナンセンスのギャグマンガというのはもう今に至るまで みんな系譜というか 流れてますよね。 でもさ 異議申し立てにおける否定の言葉としての「ナンセンス」というのはもちろん あるわけじゃない?「君の言ってる事は間違ってるよ」という意味での「ナンセンス」というのとそれから ナンセンスマンガにおける「ナンセンス」というのは常識的な事からどうやって逸脱するかという事なんですね。

赤塚不二夫の すごさはこんなもんではないと。 赤塚不二夫の天才性はその事を もうずっと前に 軽々とやってたという事なんですよ。 「バカボン」って そもそも装置自体がそういう事が許されるフォーマットだからそういう自由な事ができるわけじゃないですか。 その「バカボン」のキャラクター性と世界観を設立した時点でもう勝ちは決まってたみたいな。 それから 赤瀬川さんは 当時の千円札を造っちゃったんです。 当時は 千円札の肖像画というのは聖徳太子だったんです。

ハイレッド・センターの表現活動が社会的なニュースになっていたのと同時期海の向こう アメリカのアート界でも革命が起こっていた。 アメリカンコミックからって感じですね。 赤塚不二夫の場合はそれを無意識のうちにやってたのかもしれないけどでも それが優れて現代アートに通じるような画期的なものだったからこそ僕は すごいなと思うわけです。 60年代 時に痛烈なメッセージを含み先鋭的な表現の実験場と化していった マンガ。 主人公は下町の貧民街から はい上がりその青春を ボクシングにささげる矢吹 丈。

マンガのキャラクターに別れを告げた当時の若者たちは60年代という時代の夢にも 別れを告げようとしていたのだろうか。 何か 普通に みんなオタクの人たちだったら「おめでとう」みたいなのやったりとかしますけどでも 当時 1970年代にマンガのキャラクターが 実際にああいう事をするというのって多分 相当 センセーショナルだったと思うんですよね。