先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 戦国のプロデューサー「千利休」(後編)

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この番組のまとめ

利休は一体 どんな知恵を使って天下一の茶人へと上り詰めていったのでしょうか?業界の常識を覆した斬新なCM制作。 一般にですね 利休焼というとゴマが好きだったそうなんですね利休は。 利休の百年忌以後だんだん利休箸だとか 利休下駄とか利休頭巾とかそれから 利休雪駄とかそういう名前でどんどん どんどん出てきましてとうとう 利休焼まで出てきて。 この魚屋の息子からですね当代一の茶人にまでいった利休ですけれども先週 さまざまな知恵を見てきましたね。

例えば 信長の時代っていうのは今井宗久 津田宗及千 利休だったんです。 黄金の茶室は秀吉の派手好みを見事に実現しその威光を見せつけました。 しかし 利休は自身の美意識をも黄金の茶室で実現させたといいます。 実際 茶室が使われた小御所の中は軒が深くそれは 利休と秀吉異なる才能が ぶつかり合う事で生み出されたものだといいます。 利休は この大茶会でこれまで 政治に利用される事の多かった茶の湯を縁のなかった一般庶民にも広めました。

その時に 秀吉という違った世界の武将から利休にとっての メリットというのは自分の考えてた面白い事を実現できるというメリット?秀吉公を使いながら 自分でやってみたいなという気持ちは利休以前 茶道具といえば 唐物。 中国や朝鮮で作られた茶道具こそが名物とされていました。 そして武功を立てた家臣たちには褒美として名物の茶道具を与えていました。 天文学的金額で取り引きされていたという茶道具。 茶道具の価値を巡る興味深いエピソードが 残っています。 それまでの華美な茶道具とは全く異なるものでした。

あと やっぱり さっき 「東と西を入れ替えてしまうような」ってものすごいダイナミックな価値の転換をやられていていわゆる 茶の湯の世界における今まで 信長までの茶とは違った実は 今日利休がプロデュースしたものそこから生み出されたものを先生に お持ち頂いてるんですよ。 もちろん時代は 少し下がりますが100年くらい 利休の時代よりは100年 下がりますけれどもこれは 樂家の四代 一入という人が作りました黒茶碗でございまして。 利休が プロデュースし瞬く間に世間に浸透した黒樂茶碗。