ニッポン戦後サブカルチャー史 第4回「70年代(1)深夜のラジオと音楽革命」

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この番組のまとめ

さあ 今夜もいってみよう!ナウなヤングのフィーリングに ぴったりの「ニッポン戦後サブカルチャー史」。 まずは 当時の名曲を!はっぴいえんどで「はいからはくち」!♪~ラジオとリンクするように音楽シーンも大変革。 教科書には載っていないサブカルチャーの歴史をたどる特別授業。 え?ん?この「ニッポン戦後サブカルチャー論」をやるにあたって私は 今日 大変な思いをして準備してるんだよ。 『オールナイトニッポン』Go Go Go&Goes On!はい 夜更けの音楽ファンこんばんは。

70年代の深夜放送を代表するディスクジョッキーの一人…深夜放送 黄金期を迎える前夜60年代末の ある曲のヒットに深夜放送の未知の可能性を感じたという。 やがて 深夜放送は若者が心を通わせ つながる大きな広場になってゆく。

ところが このパーソナリティーと呼ばれるような人たちがラジオをやる事によって もっと違った キャラクターみたいなものを前面に出した方が 面白いというふうになったわけだよね。 で 僕は そういったラジオを聞きながら…ただね この間亀渕さんに会った時に「リクエスト葉書 書きましたか?」って言われたんですよ。 深夜放送もね 部屋に1個というのは ありました。 ところで なぜ 我々は深夜放送を聞いたかって事だしそれから 「深夜」っていう時間はいつ獲得するかなんですよ。

だから 最初に聴いたツェッペリンだから非常に 好きだったんですけどサブカルチャーを紹介し続けた伝説のDJである。 ♪「この雨に やられてエンジン いかれちまった」♪「どうしたんだ Hey Hey Babyバッテリーは ビンビンだぜ」「決して しゃべりの巧みなアナウンサーではなかったし人を笑わせるテクニックもそれほど持ち合わせていない。

その中で 自分は NHKのアナウンサー目指して 正統派ですよね。 ラジオこそ ナマモノで今 CSとかで 昔の歌番組「ベストテン」とかを やってくれるようにやっとなってきたんですけどラジオこそ 時代がまんま出てるし何で やらないんですかね?それはね 大きな問題は各ラジオ局が晩年の林さんが突然 スタジオに入ってきて「そこは違う。 アナウンサー的なねそういう事を言ってでも それくらい…何ていうんですか正統派な人が紹介する世界は王道ではなくてサブカルチャーだったって事ですよね。

僕は 「オールナイトニッポン」とか「パックインミュージック」とかを朝の5時ぐらいまで聞いて5時から僕の住んでた静岡県では「早起き もう一度劇場」っていう謎な番組 やってましてねここの品ぞろえは 自分と合うという店を見つけるというのが好きなんですけど今 だんだん ネットで買えるようになってくるとそれがなくなってくるじゃないですか。

ロックを日本語で歌い上げたのだ。 大瀧詠一と 内田裕也による日本語ロック論争が掲載されている。 かんかんがくがくの中日本語ロックは 産声を上げた。 はっぴいえんどは そんな時代に日本語によるロックを創造した。 メンバーの一人 細野晴臣は次なる音楽革命に乗り出す。 細野さん すごい!まず 日本語のロックをやろうとした細野さん。 それで はっぴいえんどのメンバーの一人である 大瀧詠一さんがNHKのFM放送で 10年以上前に明治時代から現代に至るまでの日本の流行歌の軌跡を分析したまさに 出色のサブカルチャー論。