ニッポン戦後サブカルチャー史 第5回「70年代(2)雑誌ワンダーランド」

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この番組のまとめ

愛と独断による異色のサブカルチャー論を展開する。 そして サブカルチャーをこよなく愛する ジャニーズ…真夏の夜のサブカルチャー教室。 さて 今週も 「ニッポン戦後サブカルチャー史」やるわけですが僕のうちは 子供の頃貸本屋というものを やっててすごい 価値が出ましたね。 古本市とかで集めてるんですけどその雑誌のおかげで当時の時代って はっきり…広告から メークから洋服から マンガから すごい…表紙一つ とってもパンチありますよね全部 個性的で。

1976年 「POPEYE」創刊。 だから ニュースとか世の中で起きてる事を真面目に書いてるというイメージで「宝島」と「POPEYE」っていうのは「宝島」の方は 思想みたいなものは書いてあるけど我々に教えてくれるという。 「POPEYE」というのはちょっと また 別だったんですね。 「POPEYE」って読むと よく考えると「POP EYE」じゃないですか。

その名のとおり 全地球規模で人々の暮らしや ライフスタイルをカタログで網羅しようというコンセプトのもとに作られた。 「You are already naked.There is no reasonnot to follow your heart」。 1975年 石川が 「ホール・アース・カタログ」をヒントに生み出したのが…「宝島」編集部にいた 北山耕平は銀座の洋書店で「ホール・アース・カタログ」と出会った。

「ホール・アース・カタログ」ってフランスにもあったのかな。 結構 もちろん ヒッピームーブメントもフランスも すごいあったし68年 若者たちの反乱もあったんだけれどもほんとに こういう手の雑誌ってあまり 見た事ないんですよね。 何か 多分 フランス人…アメリカとか日本て生活スタイルとかカタログっていうものが我々にとって 必要なものが載ってないっていう事からそれに対抗するっていう意識はあったと思うんですけどね。

僕 やっぱり ヒッピーカルチャーの中から出てきたのが パーソナルコンピューター。 ツイッギーの来日で火がつき大流行したミニスカートを皮切りに街では 斬新かつ自由なファッションを身にまとった女性たちが闊歩した。 女性解放運動を意味する「ウーマン・リブ」が流行語になったのもそれまでの女性誌は 主婦を対象としていたものが多くまた ファッション誌は 自分で裁縫する読者を対象としていたため巻末に 型紙が付くなど実用的に作られていた。

これは ヴァルター・ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」って有名な本ですけど これのデザインとかすごくきれいでしょ?単純に文字だけで 構成されてる。 それの ちょっとした作業によってデザインが全然違う。 平野さんのデザイン 分かるんです文字だけで。 要するに デザインなんですよ。 デザインがいいものが いいっていうね。 「遊」っていう雑誌ですけどきれいでしょう?きれいでしょう?各ページ全部デザインされてる。

それを見てる人たち同士が雑誌を通さないで直接やり合うという事でしょう?これ斬新!住所まで載せる意味は あんまり分かんなかったんですけど「こいつ面白いな」って文字からでもエネルギーが出るからそれで 文通とかが始まったりしてたんでしょうね。 野坂昭如筒井康隆など当時の人気作家が 半年ごとに編集長を務めるという異色の雑誌だった。 で 名物編集者っていうのがいてそれぞれの時代に憧れた編集長とか 編集者がいたという時代でもあったと思いますね。