先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)最強のチームを作るには?▽本田宗一郎・前編

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この番組のまとめ

エンジン届いてますね!ちょっと川本さん!エンジン届いてますよ。 こちらの川本さんあの自動車メーカー「Honda」で社長だった川本さんですよ。 見られるだけ幸せと思って下さい店長 このエンジン!世界一のエンジンですよ。 「無謀な挑戦」と笑われながら宗一郎たちは猛然と エンジン開発に取り組みます。 行動力と 豊富なアイデアで「最も宗一郎に似ている社長」と評される川本さん。

経営学が ご専門で本田宗一郎の本もたくさん書いていらっしゃいます伊丹先生ですが伊丹さんお知り合いですか?昔から お世話になっております。 まさに そのチームの一人が川本さんだったわけですがそのころの話をちょっと伺う前に本田宗一郎はそもそも どのようにして世界的なメーカーを目指すようになったのかその若かりし日々の話から解きほぐしていきたいと思います。 宗一郎は故障の原因が カーボンブラシの芯の摩耗にある事を見抜きます。 カーボンブラシは エンジンの点火装置でカーボン 炭素で出来ていました。

こういうふうにしようと思ったのは本田宗一郎さんだけだから。 どうやって 本田宗一郎は最強のチームを作り上げたのか。 バタバタを大ヒットさせた宗一郎。 宗一郎は アイデアが ひらめくと場所など関係なく説明を始めます。 宗一郎には もう一つ苦手なものがありました。 例えば バタバタを買いに来た人が「手持ちのお金がない」と言えば宗一郎は 「後日でいい」と現物を渡してしまいます。 宗一郎は苦手な営業 宣伝 資金調達など全て 藤澤に任せてしまいます。 その時の喜びを語った宗一郎の言葉が 残されています。

宗一郎の方は 年中車だし バイクだし エンジンだしでそれこそ 1万回転で24時間 ぶん回ってるような自分の欠点を 猛烈に優れた人が加わって協力してもらえたら成果は ものすごく大きくなると。 宗一郎は苦手な分野を カバーし合う事でチームを強くしたんですけれども実は 他にもこんな知恵があったんですね。 しかし宗一郎は 「優勝する」とまで宣言したのです。 宗一郎の無理難題には慣れていた設計の河島もこれには あきれたといいます。

チームをまとめた この宗一郎のやってやろうっていうスピリットですけれども更に 最も大切にしていた考え方っていうのが次の知恵なんですね。 写真には 「選ばれし者が作ったNSX」と書かれ宗一郎にとってはどんな仕事も平等であり一部のエリートだけを称賛するような行為は許し難いものだったのです。 宗一郎 晩年の秘書住川忠行さんもそうした姿勢を間近で見ました。 社長引退後に宗一郎が使っていた執務室。 住川さんは1989年 宗一郎に同行してアメリカ・オハイオ州の工場を訪ねた時の事が忘れられないといいます。