ミュージック・ポートレイト「さだまさし×箭内道彦 第1夜」

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この番組のまとめ

日本一 コンサートをする男と日本一 ロックなクリエイター。 更に 近年は バラエティー番組にも挑戦。 当時 豊かな家庭のシンボルといわれたバイオリンを 3歳で始めます。 僕 バイオリン 3歳からずっと やらされてたんでだからね 聴く曲も やっぱりクラシックの曲を聴くぐらいしか…。 ただ 子どもの頃「夢であいましょう」っていうNHKのバラエティーは親が楽しみにしててこれは一緒に見てもよかった。 一方 さだが生まれてちょうど12年後箭内道彦は福島県郡山市に生まれます。

それで 「サウンド・オブ・サイレンス」ってちょうど中学の1年生だから英語の辞書で引くと 「沈黙の音」。 バイオリン修業のため上京したはずなのにギターの魅力に取りつかれたさだ少年。 お~!そのころ 中島みゆきさんだったり松山千春さんだったり北海道には何かあるぞっていう感じがあって。 バイオリニストになるからと一人 上京していた さだ。 っていうのは 音楽学生ってすごく お金が要るんですよ。 うちの家計では ちょっと音楽学生 育てらんないなって思うところもあって。

しかし 当時2人が目指していた音楽はジャズバイオリニスト ジェリー・グッドマンを中心にした前衛的なサウンドが売り物。 ピンク・フロイドとかキング・クリムゾンよりもフロックの方が僕らには 新しくて刺激的でこういうのやりたいねって吉田と言ってたの。 「精霊流し」がヒットしなきゃよかったんだけどいや よかったというかヒットしたから 今の自分があるからありがたい曲なんだけど大金字塔になっちゃったら何か そこから離れてフロック 行ったら裏切り者みたいな感じがしてあえて フォークの汚名を着たね。

CDが最も売れた1990年代後半箭内は 憧れだった音楽にまつわる広告で初めてのヒット作を生み出します。 快進撃を支えたのは箭内だけのやり方 クリエイティブ合気道。 「合気道って何だ?」って思って相手の力を使って遠くに投げ飛ばすんだっていう話を聞いてこれは クリエイティブにもそのまま聞くんじゃなくてそれを どれだけ飲み込んで膨らませて相手が喜んでくれるか相手が驚いてくれるかっていう。 自分のやり方を見つけヒットメーカーとしての地位を確立した箭内は2003年大手代理店を辞め 独立します。