…で 誰からいきます?飯岡 笹川 しのぎを削るおなじみ 「天保水滸伝」の里下総は 千葉県の生まれ国本武春でございます。 年の初めが七草で 義理と人情のお話が 好きで入った浪曲が♪~♪「六甲颪に颯爽と」♪「蒼天 翔ける 日輪の」私 去年12月に文化庁の芸術祭大賞という大きな賞を頂きました。 まず 最初にご登場頂きますのは富士路子さんで 「源太時雨」です。 待ってました!ここは甲州上野原名調子!「ごめんなさい」。
おらあ 今から六年前江戸表へ 剣術の修行に行っていたんだがその時分 ねえさんとできてたことにして今夜の婚礼の席へ暴れ込んでもれえてえ。 俺が信楽屋の徳兵衛だがガキの頃から 手塩にかけた源太郎に女房があるなんてなあ初耳だ。 私と源太さんちょうど今から六年前源太さんが江戸表へ出て剣術の修行に行っていたことがござんしょ?その時分 私は 両国で義太夫の序の口語りをしていたさびしいだろうが一人で待っていてくれ』…と言われましたら私だって 女ですもの。
その人の節は その人だけしかできないというんですけどやはり この虎造節…虎造先生の節だけはなんとかして我々もやっていきたいなという事で今日は ちょっとね私と奈々福先生で私 思ってたの。 「清水次郎長」。 「だあ~ 次郎長。 次郎長てのはそんなに偉えか?」。 「えっ?」「次郎長てのはそんなに偉えか?」。 『次郎長てのは そんな偉いか』とは何だよ。 関東八か国関外六か国 十四か国に博打打ちの親分の数ある中に次郎長くれえ偉えのが二人とあってたまるけい」。 そんなに何かい次郎長は偉いかい?」。
これを唱えて清水の二十八人衆。 その二十八人衆の中に次郎長くれえ偉えのがまだ五~六人いるからね」。 お前さん 馬鹿に詳しいようだから聞くんだけど次郎長の子分の中で兄 弟の貫禄は問わねえがこりゃあ 一番強いってのを誰だか知ってるかい?」。 「清水一家で一番強いのは…」。 「尾張のお先手 槍組みの小頭槍を取って山本流の使い手山本政五郎。 武家を嫌って やくざになって次郎長の子分。 「遠州秋葉三尺棒の火祭りでお父っつぁんの敵討ちをした増川千右衛門だな!」。
どう考えたって誰に言わせたって清水一家で一番強いといえば大政に小政 大瀬半五郎遠州森のい…」。 「大政に小政 大瀬半五郎遠州森のい…。 いの一番に言わなきゃならねえ清水一家で一番強い人を一人忘れていたよ!」。 「清水一家の森の石松は馬鹿?」。 お茶の香りの東海道遠州森の石松はしらふの時は良いけれど日本一!代参の帰り道三十石の船を降りた石松は近頃 評判の親分見受山鎌太郎のもとへ草鞋を脱ぎました。
お民七五郎の顔に見とれている「うん 石松なら確かに来たよ」。 丁度 時間となりました まずは これにて とどむる次第国本武春さんで「森の石松 三十石船」。 そして玉川奈々福さんで「お民の度胸」。 虎造をやる時に 一番苦労なさる時どういう事です?やっぱり この先生の場合はラジオというかね本当に スピーカーのここにいる人に語ってる訳ですよね。 本当に みんな 自分のために語ってくれるというようなそんな感じになったのが虎造先生のすごいとこじゃないでしょうかね。
続きましては 京山小圓嬢さんの「権太栗毛」なんですけれども。 それでは 出演 京山小圓嬢さん曲師 沢村さくらさんで「権太栗毛」です。 お金に直して二百四十貫これで… これで 一つ…」。 「何を? 二百四十貫だ?この野郎 とんでもねえ野郎だ。 それではこうしていただけませんか?この二百四十貫 残りの分は後からお届けするということにしてさしずめ この二百四十貫は手付けという事に」。 「何? 二百四十貫 手付け?それなら話が分かってるじゃ無えか。 なぜ 先に それ 言わねえんだ?よし判った二百四十貫は 手付け。
何を隠そう私は武蔵の国 熊谷の郷熊谷次郎直実の家来権太と申す者。 小圓嬢!馬上に打伏す 馬かい権太。 「父上! 父上!権太が 権太が戻りました」。
クロールやって 一番最後 背泳して。 京山小圓嬢師匠でございました。 続きまして若手浪曲師四人衆によります泣かせるというのが大体 皆さんね「浪曲 お涙頂戴だね」って。 喜怒哀楽というのを短歌や節で表現するのが浪曲とされておりますが。 この そば屋さんのメニューも浪曲で喜怒哀楽を表現ができるという。 大丈夫ですか?喜怒哀楽 「喜」の友歌さん…。 献立表 子どもが好きな 「山菜そば」結局 おそばのメニューも浪花亭友歌になっちゃいましたね。 それでは 楽しいところで一太郎さん。
「へい 上総屋七兵衛増上寺の門前。 三日四日と冷奴 五日目の朝が来て「旦那 四 五の二十文てえ事になりますんでどうぞ お勘定を」。 朝飯の代わりに冷奴一丁で がまんなすってる。 えっ 一日の飯の代わりに冷奴一丁いや~ こりゃ もつもんですね人間の体も…。